「生きていることが救いだ」

 前回「苦しみの対処方法 その1」と書きました。
 その1では、人間には様々な欲があるけれども、その欲に執着しないということであったろうかと思います。
 確かに、執着さえしなければ、苦しみはなくなります。
 では、その2は何かというと、仏教的には八正道といことでしょうか・・・・。
 正しいものの見方、正しい行い・・・・正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定。
 
 そんなことは、言葉でいくら並べても、心の平安にはつながりません。
 しばらくの平安はあっても、たちまち心はゆらぎはじめてしまうでしょう。
 
 やはり、信心や信仰の決定(けつじょう)というか、人生哲学というか、腹を据えるというか、そのようなものがないと、心はゆらぎやすいでしょう。
 かといって、盲信や自分の幸せ優先の信心は、どうも私は好きになれません。
 
 ところで、まだ十代の可憐な少女と、位牌や仏具の注文で、電話で応対することがありました。
 ひょっとすると、その少女は、世間一般からは不良少女とのレッテルを貼られているのかもしれないなとも思います。
 その少女の声は、なぜか世間ずれしていなくて、ひたむきで、声を聴いているだけで、可憐で美しい少女に思えました。
 でもその清純な可憐な少女が、世の中の荒波にもまれつづけたら、どうなるのでしょうか。
 荒んだ人生を歩み、薬物で身をほろぼすのでしょうか、人を騙し嘘と虚栄の世界を生きていくのでしょうか。
 できれば、人生の荒波に耐えてこつこつと生きてほしい。
 
 少年、青年の中にも、心優しき純粋な人もいるでしょう。
 心が優しいというか、心が美しいと、本当に生きづらい世の中です。
 絶望や虚無感にとらわれている人も多いことと思います。
 
 
 きっと悩み悩んで死線をさまよっている人も何人かいらっしゃるのではないかと思います。
 でも死んではいけません。
 「生きていることが救いだ」
 生きている限りは、無限の可能性があります。
 
 私は、幼少の頃から父親が大嫌いでした。
 父親が本当に、どうしようもない人間に思えました。
 かんきわまったのは、私が26歳の時に、父が、酒に酔い服用中の薬のせいもあったのでしょうが、よだれを垂らして、妬みと猜疑心のこもったどろんとした目で私を見つめた時です。
 私は、ショックで発狂して家を飛び出してしまいそうでした。
 あれから30年、父は、あいかわらずのようでしたが、孫の中にはそんな父(祖父)を好きだというものもいて、それなりに幸せに過ごしたようです。
 父が危篤というので、亡くなる2か月前に帰ったのですが、意外と元気で、驚いたのは、父が赤ちゃんのようにきれいな目をしていたことです。
 初恋の少女の目を見た瞬間にどきりとしたように、父の目を見て、あまりに美しく澄んだ目なのでドキリとしました。
  私は、父親の人生に何ら価値など見出せませんでしたが、このときから、父も生きていてよかったなと思えるようになりました。
 人生最後まで、何があるのかわからないものだと思います。
 
 
 自分が、ひどく不幸せに思うかもしれませんが、もっと不幸せな人もたくさんいます。
 自分が最低の人間だと思うかもしれませんが、そう思うのは、まっとうな心をもっているからでしょう。
 私も、人には話せない、苦しい経験、悲しい経験、恥ずかしい経験をたくさんかかえています。
 もしあなたが、聞きたいというならば、いくらでも教えてあげてもよろしいかと思います。
 
 私の人生の、大半は苦しみだったように思いますが、60歳過ぎて、ようやく、いかに生きるかといことが、少しわかってきたように思います。
 苦しみも、じっと耐えていれば、必ず、苦しみではなくなります。
 いつか、その苦しみが、結実して花咲かせるかもしれません。
 できれば、人知れず野に咲く、小さな小さな花を咲かせたいものです。
 人に知られない小さな花は、この世で一番美しい花かもしれない。
 苦しみ悲しみは、永遠には続かないものです。
 
 皆、天国や極楽浄土を望みますが、おそらく天国や極楽浄土は、ひまで退屈で、どうしようもないくらい退屈ではないかと思います。
 極楽浄土の住人から見れば、人間世界は、恐ろしくも、もう一度生まれ変わりたいほどの世界かもしれません。
 苦しみ悲しみは、大切な体験であり、魂を成長させてくれるものなのかもしれません。
 
 苦しみ悲しみは、ずっと続くことはありません。
 生きていれば、必ず、喜びの時もあります。
 一度死んだつもりで、生きなおせば、あえて死ぬこともないのではないかと思います。
 死んだつもりで、何もかも忘れて、何もかも捨てて、もう一度、やり直すという方法もあるのです。
 
 
 
 

    死

 

  夜半

  一人 ものおもえば

  水槽の水音が聞こえ

  アパートの

  小さな燈火が見え

  ここに

  死んでしまいたいのと

  つぶやく娘がいるなら

  僕も

  いっしょに

  死んでしまいたい

  それが

  何の意味のない死であろうと

 

 

これは、私が17歳のときの詩です。
16歳の秋に失恋し、年末には祖父が殺害され、翌年早々には両親が離婚すると言いだし、生活費を稼ぐためにガソリンスタンドでバイトも始めた頃の詩です。
さすがに心は曇ってきました。暗い目をしていたのではないかと思います。

 

 
 
高校を卒業すると、妙な縁で私は警察官になり、初めての現場勤務の1年間で、腐乱死体の司法解剖2件、自殺者の検視5件以上に立ち会うことになりました。
若者の農薬を飲んでの自殺の検視にも立ち合いましたが、嘔吐して失禁や脱糞して、もがき苦しんだ末の死体からは、覚悟の自殺にしても後悔の念も感じます。
遺書には、社会への批判やサタンという言葉が書き込まれていました。
おそらくは優秀な若者であったことは、在学していた大学の名前でもわかります。
自殺をすれば、他殺の疑いもありますから警察の検視が必ずあります。
死体を裸にしてすみずみまで、調べていきます。
温度計を肛門から直腸に差し込み、死後の体温も測ります。
 
私は、自分の身体を他人に検視されることを思うだけでも、自殺はしたくないものだと思いました。
おそらくは、自殺する人は自殺した人の姿を見たことがない方が多いだろうと思います。
どうでもよいようなことが自殺を思いとどまらせるかもしれません。
生きていることが救いです。
 
 
今は亡き、わが師(紀野一義)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
 
 心ひろびろと、さわやかに生きん。
 真理をもとめてひとすじに生きん。
 おおぜいの人々の幸せのために生きん。