「イワンのばか」

 小学校2、3年生の頃は、アンデルセン、グリム、イソップなどおもしろおかしくて夢中で読んだものだ。
 日本の童話では、ごんぎつねや泣いた赤鬼には、涙を流したりもした。
 「イワンのばか」もこの頃読んで、そこぬけにお人よしで愚かで馬鹿であることはすばらしいことでもあると学んだような気がする。
 このイワンのばかは、なんと岩波文庫にも収録されている。
 最近気づいたのだが、作者は文豪トルストイである。おまけに岩波文庫の本のカバーに書かれた解説によるとロマン・ロランが「芸術以上の芸術」「永遠なるもの」と絶賛している。
 ただの童話だと思っていたが、確かにトルストイの人生観というか「人間いかに生きるべきなのか」が表現されているのだと思う。
 
 中学1年生になったときに、小学校時代の同級生19人はいきなり私のことを、男子は「ノダ」女子は「ヨシハル君」と呼び始めた。
 中学校に入学するまではみんな「ヨッチャン」と私のことを読んでいた。
 みんなといっても3人は、引き続き「ヨッチャン」と呼んでくれた。
 その1人の男の子と1人の女の子は、普段から非常に不器用で決して利口とはいえないタイプだった。
 もう1人は非常に賢くもあり、友情というものについても語りあった女の子ではある。
 私は、あいかわらず小学校時代の時のままの呼び名で、みんなの名前を呼んだ。
 今でも、たまに会うことがあれば、そのまんまである。
 その頃も、友達に急に態度や呼び名を変えるのはおかしいと言った覚えがある。
 皆、それぞれに言い分があったようだ。
 普通の人間というのは、何でもないようだが、意外とあてにならないし信用できないものだと思う。
 それが絶対に悪いというのではない。
 世の中は、時代や環境が変われば、いとも簡単に変わるものだということである。
 
 さあ、「人間いかに生きるのか」とか「真理とは」。
 なかなか結論が出ない。
 このようなことを思って生きると孤独なこともある。
 
 
北原白秋の「巡礼」という詩がある。
 
 巡礼
 
真実、諦め、ただひとり、
真実一路の旅をゆく。
真実一路の旅なれど、真実、錫ふり、思ひ出す。
 
 
 
人間はというより、日本人はスズやリンの音色に何かを感じてきたようだ。
 
 
私はあまり俳句や短歌は読まないが飯田蛇笏の有名な俳句に
 
 くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
 
というのがある。
飯田蛇笏が戦争や病気で息子達を失ったことを知ってからは、秋を表現した句というよりも、悲しみや鎮魂の句のようにも思える。
 
昔読んだ、童話や詩や俳句が、歳をとるとともに、また、違った意味でよみがえる。
60歳の私は、幼少の頃とそんなに変わっていないように思うのだが・・・・。
もっとも、幼い頃は広島弁でワシと言い、それが僕になり、この頃は、私と書くことも多くなった。
会話では、あいかわらず僕でもある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   心ひろびろと、さわやかに生きん。
   真理をもとめてひとすじに生きん。
   おおぜいの人々の幸せのために生きん。