2024.7  良寛69才貞心尼29才の恋

 

 私が20才になる前の冬のある日、高校生の頃から通った本屋で良寛の漢詩集に出会った。

 私は、一つの漢詩を読み良寛の孤独を感じてしまって、その漢詩集を胸に抱きしめたように思う。

 漢詩集と和歌集を買い求めて、それ以来、漢詩集は48年もの間、私のそばにありつづけている。

 和歌集は、なぜか、ほとんど読んだ記憶がない。その本の所在も確かではない。

 私が20才になり、瀬戸内の因島で勤務していたころ、大学で良寛の和歌を研究したという高校の女性教師に出会った。

 その先生から、初めて良寛と貞心尼の恋と和歌について教えてもらったことがある。

 だから、その頃は、それとなく和歌集にも目を通したはずである。

 漢詩集には、良寛の恋心らしきものは、見当たらない。

 唯一、良寛が長年愛していただろう維馨尼(いきょうに)の江戸行きを心配した漢詩の中に「天寒自愛」(てんさむしじあいせよ)という有名な一文がある程度である。

 もっとも、維馨尼の方はそれほど良寛に対して、特別な思いはなかったのではないかと思われるが・・・。

 

 確かに最晩年の良寛は貞心尼を恋しく想い、貞心尼は良寛を仏道と和歌の師として慕っていたようである。

 二人が出会って短くも4年間、二人はしばしば逢う瀬を重ね、73才で良寛が亡くなる前、良寛は貞心尼に会いたいと和歌を送り、ようやく会えた嬉しさを和歌に残している。

 良寛の最後を看取り、最後まで良寛と和歌をやりとりしたのは貞心尼である。

 

 今、私は68才だが、二十代の女性から、時々、恋文のような手紙をもらい、やはり、良寛と貞心尼のことを思い出さずにはいられない。

 私は、こうしてブログを月一度書くが、年賀状も暑中見舞いも何十年もの間、書かないほど、筆無精である。

 もらった手紙に返事の手紙を書くことはないだろう。

 もっともラインでは、その彼女と普通にやりとりしているのだから、それほど特別なことでもないのだが、その彼女、少し変わっていて、会うたびにどきりとさせられることがあるのだ。

 手紙も、その都度、何か妙に、心に突き刺さる。会ったときの仕草も、妙に、印象深い。

 さてさて、今後、どうなるのやら・・・。嬉しくもあり、いずれの日かの別れを思うと、寂しくもあり。

 今は今、ひと時でも、男と女のめぐりあいを、よしとして、美しく生きていきたい。

 

 

 

 良寛が死期を前にして貞心尼に贈った和歌を紹介します。

 

あづさゆみ春になりなば草の庵を とく出て来ませ逢ひたきものを

(暖かな春になったならば、一日も早く庵を出て、わたしの所へ訪ねて来てください。お逢いしたくてならないのだからね)

いついつと待ちにし人は来たりけり 今は相見て何か思はむ

(いつ来るか、いつ来るかかと思っていた人は、ついにやって来てくれたことよ、今はもうこのように対面できて、何を思おうか、いや思うことは何もない)

うちつけに飯絶つとにあらねども かつ休らひて時をし待たむ

(だしぬけに、食事をやめたというのではないが、前もって心や身体を楽にして、死期を待とうと思うのだよ)

※貞心尼の「かひなしと薬も飲まず飯絶ちて、みづから雪の消えゆるをや待つ」に答えた歌。

  良寛が貞心尼に詠み与えた和歌(良寛の名歌百選  選・谷川敏朗 写真・小林新一 考古堂出版より)

 


49年間、私のそばにありつづける良寛詩集(東郷豊治編著 創元社刊

 

 

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。