2024.10  クラス会に参加して

 先日、7年ぶりの中学校のクラス会に参加した。男性陣は、益々、頭は禿げる、白髪は多い、皺にまみれた顔で、さすがに68歳になったのだなと思う。僕はいまだに、髪は長髪でふさふさだし白髪も皺もほとんどないので、「野田は苦労が足りないのじゃないか」と、どこからか声が聞こえてきた。酒に酔えば僕の髪を引っ張るし、まるで中学生時代とかわりない、あいつもこいつものさわがしいひと時を過ごした。

 女性陣は、前回あった時よりも、全体的にかえって若く美しくなっているように思えた。

 特に美しくなった一人は幼稚園から、ずっと一緒だったMちゃんだが、7年前のクラス会で、かなり太っていたので、そのことを指摘して「おかあさんに似てきたな」と言ったら「いやだー」なんて言っていたが、今回はずいぶんとほっそりして、髪型もショートに刈り上げて、ずいぶんといい女風になっていたのには驚いた。もっとも本人には「ちょっと痩せたんじゃないか」と言っただけである。おそらく彼女の人生で、今がもっとも美しく輝いている時なのかもしれなかった。何か、心境に大きな変化があったのかもしれない。

 もう一人、随分ときれいになったと思っていたHが、私のテーブル席のそばにきて、かがみこみ、「野田君が卒業式前のサイン帳に、君は、本当はもっといろんなことができる可能性を秘めた人だと思う、と書いてくれたことが私の励みになったんですよ。きれいな文字で書いてありました」という。きれいな文字だというのが、よく理解できないが、下手な字だけど、僕の書いた文字が好きだと言われたことは何度かあるので、そんなこともあるのかとは思う。どちらにせよ、知らないところで、人を勇気づけたこともあるにはあるということだろう。

逆に、勇気づけられたこともある。

 中学1年生の秋か冬休み前だったと思うが、普段まるで話しをしたこともないYさんが「私、何もできないけど、野田君のことを応援しているから」と言って、恥ずかしそうに走り去って行ったことがある。その頃の僕は、弱いものいじめなどしている奴がいると、相手が上級生だろうが、かなりの悪であろうが、その中に割って入ってとめたりしていたが、そんなことがひっきりなしで、おまけに、いいかっこうするなよと反発するものも多く、さすがにうんざりして、見て見ぬふりしようかと思ったりしはじめていたころだった。でも、彼女の一言で、何となく、もう少し頑張ろうかと思ったものだ。

その彼女はクラス会を欠席していたが、今も、現役で看護師の仕事を頑張っているらしい。

 二次会では、なぜか前回も今回も最初から最後までEちゃんと隣合わせで一緒に酒を飲みながら話した。幼稚園から一緒で、僕にとっては、そこはかとなく優しいマリア様みたいな存在で、10年間同じ教室で過ごしたのだから、仲のいい兄弟姉妹みたいな感じで、一番ほっとする親友だ。大病院の看護部長になるまで看護師として勤めていたけれど、僕の若いころの夢は、大病を患ったら、彼女のいる病院に入院することだった。あいにく長期入院することもなく、この春をもって彼女は看護師の仕事を完全にやめたと言っていたので、夢の一つは消え去った。

 そして、今回も僕の初恋のMさんは、クラス会に参加しなかった。今回は何となく会えるのではないかと期待していたのだが、連絡が取れない6名の内の1名になっていた。

できれば、会って、中学生の頃、高校生の頃、僕の言動で、彼女に随分と嫌な思いをさせてしまったかもしれないことを、笑い話しとして語りたかった。

 それはどんなことかと聞かれても、この僕でも、いまだにざっくばらんには語れない。

 やはり、それなりに難しい問題ではある。

 こうして書くこと自体が、どこかで、彼女に嫌な思いをさせるのではないかと、ためらう気持ちが、今でもあるのである。

 

 この思いについては、いや、人間の生き方、様々な人生問題も、いずれは解決できるかと言えば、意外と解決できないまま、人は生きていくものなのかもしれない。

 結論が出なくても、問題が解決できなくても、それはそれ、人間は、ほがらかに、さわやかに生きた方がよいと思う。

 また、そうしなければならないのでもある。

 毎回出席率が50%以上、やはり、良き仲間であったのであると思う。



今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。