2024.11  「花は語らず」  柴山全慶老師の詩

 

  花は語らず

 

花は 黙って咲き 黙って散っていく

そうして再び枝に帰らない
けれども その一時一処に 

この世のすべてを託している
一輪の花の声であり 

一枝の花の真である
永遠にほろびぬ生命のよろこびが 悔なくそこに輝いている』

 

 

この詩は、昭和49年8月29日に79歳(数え歳では81歳)でお亡くなりになった、京都の南禅寺の管長でもあった柴山老師の詩である。

禅は不立文字で、言葉では説明できない。その説明できないところを、何とか表現しようとすると詩のようなものになってしまうのだと思う。

良寛禅師は、悟りを言葉にしようとすると、その悟りが壊れてしまいそうだともおっしゃっている。

柴山老師も、悟りの境地を表現したくて、この詩をお作りになったのではない。

柴山老師は、椿の花がたいそうお好きでいらしたようである。椿の花は、美しい花の姿のままでぱたりと落ちてゆく。

その花の姿に柴山老師の思いが重なったのであろうか。

わが師紀野一義先生は、この柴山老師に大きく感化され、また、柴山老師は我が子のように、紀野先生をかわいがってくださった。

柴山老師は弟子には非常に厳しい方であったようであり、紀野先生のことを羨ましく思ったお弟子さんもいたようである。

私も、紀野先生に感化され、また紀野先生は、この私をある意味、我が子のように接してくださった。

紀野先生のことを、実の父とはくらべものならないほど、おとうさんのように思ったが、やはり「おとうさん」とは呼べなかった。

キリスト教の一派では、イエスのことなのか神のことなのか「父上」「おとうさま」と、声を出して呼びかけている。

紀野先生が晩年「おとうさんのように思っている人がいたら、ちゃんと、おとうさんと言って、あとで悔いが残らないようにし、するべきことはしておかないと駄目だよ」とおっしゃたことがある。。

また「人は直接お世話になった人に、恩をかえせないものだから、身の回りにいる人の幸せを考えて生きていかなければならないよ」ともおっしゃた。

 

柴山老師は死ぬまで一生修業だともおっしゃっている。

紀野先生の最晩年足腰が不自由になられたが、その身体の不具合に立ち向かい、大勢の人々に仏教を語られた。

その頃、私は喜んで先生の車イスを押し、あちらこちらの仏教法話会の会場へ出かけた。

周囲の人は、大変ねというけれど、ちっとも大変ではなかった。

今でも、なつかしい良き思い出である。

 

さて、私は、今後どう生きるのか。

こつこつと、生きるしかないが、人生、死ぬまで修業だと覚悟したい。