2024.12 「良寛さんの喜び」
良寛さんの漢詩集を読むと、良寛さんが何を考えていたのか少しはわかります。
漢詩には、良寛さんが和歌では表現できない思いや考えが書かれています。
良寛さんが、自分の人生をふり返って、「寅の絵を描こうとして猫にもなっていない。幼少期の栄蔵(良寛の幼名)のままだ」
「何が幸せかと言えば、寝たいときに眠り、座したいときに座禅ができる。これほどの喜びがあるであろうか」
良寛さん自身には悟りがあったのですが、その悟りは口にすれば壊れてしまいそうなものだったようです。
だからどんな悟りだったのかは、よくはわかりません。
ただ、良寛さんと接した人々は知らぬ間に良寛さんに感化されて、おだやかな気持ちになれたようです。
鈴木文台という儒学者は子供の頃から良寛さんのことを知っており、鈴木文台の家に良寛が泊まると、しばらくの間は、春の日ののどかな日々を感じたと言っています。
ただいつも誰でもがそうではなかったのでしょう。一度、盗人間違われて生き埋めにされそうになったこともありました。
私も、いまだに人生に悩むと良寛の詩集を読みたくなります。
なかなか良寛さんの心境にはなれないにしても、良寛さんのような人がいたというだけで、なぐさめられるような気がするのです。
私も、できれば、そばにいるだけで、何となく幸せを感じてもらえるような人間になれたら、嬉しいな。
来年は、もう少しおだやかに、やさしく生きたいものだ・・・。
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
自誓
一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
一、真実をもとめてひとすじに生きん。
一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。