「両手両足がなくても生きていける」

達磨大師に始まる禅宗の六祖である慧能(エノウ)は、元は木こりで薪などを売って生活していた男で、文字の読み書きもできませんでした。
(学問にも秀でた立派な兄弟子達が多くいましたから、無学な男が祖師になったということで、妬みや怒りもすさまじく、命も狙われましたが・・・)
イエスキリストも確か元は大工さんではなかったかと思います。
一般的な学問という教養がなくても、悟ることは十分できるということであろうと思います。
 
我が子が4歳で自分の名前が書けるようになったことを大喜びする父母もあれば、4歳なのに自分の名前しか書けないと嘆く父母もあります。
名声高く豪邸に住んでいても、夫が浮気をした、子供が非行に走った等々、あえぎ苦しんでいる人も多くいます。
当店にも自分達家族の不幸を嘆き、先祖供養で何とか救われたいという方々から相談を受けることがあります。
たまたま生活が好転すると、おかげさまでとお礼を言われます。
そして何年かたち不幸が続くと先祖供養の仕方が間違っているのではないかとの相談です。
先祖供養は悪いことではないでしょうが、先祖供養したから必ず幸せが訪れものではなく、
人生いいこともあれば悪いこともあるし、良いことが続くこともあれば悪いことが続くこともあります。
そんなときに、どのような心がけで生きていくかということであろうかと思います。
苦しみと思えるような出来事も、実は喜びに変わる出来事でもあるのです。
 
 
なかなか苦しみ悩みから抜け出せないという人には、優秀で過去に恵まれた生活を経験した人が多いのではないでしょうか。
もともと貧乏で頭もよくなく出世など考えたこともなく、欲もあまりない人ならば、人生それほど苦しんだりはしないように思います。
そして神や仏をどこかで信じている人には大らかさがあります。
(ただし、私は人に信仰することを押し付けるような人は間違っていると思うし、ある意味嫌いです)
 
幼い時に、両手両足を失いながらも口で裁縫をすることもできた中村久子という女性がいました。
見世物小屋で長く働き子供も立派に育てた女性です。
来日した盲目で聾唖であったヘレンケラーが中村久子に会って「私より不幸な人、私より偉大な人」と称賛しています。
この中村久子の講演会での言葉に、なるほどという言葉があります。
 
「人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは自分で生きているのではない。生かされているのだと言うことです。どんなところにも必ず生かされていく道がある。すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はないのだ。」
 
中村久子は42才の時に歎異抄に出会ったらしい。
やはり彼女の人生を輝くものに変えてくれたのは、仏教の教えであるようである。
 
中村久子さんとおつきあいがあったのは、Hさんだっただろうか。
紀野先生の著書の中で、彼女が手足を失くし家庭的にもめぐまれない中、強く生き続けたことだけはかすかに覚えていた。
中村久子という名前も、すっかり忘れて、紀野先生のどの本のどのあたりに書かれていたお話しだったであろうかと思いながら、みなさんに紹介するには、あまりにもいいかげんすぎると思っていたが、ふと浮かんだ「中村久子」という名前でインターネットで検索すると、しっかりと、中村久子という女性がウキペデイアに掲載されていた。
 
中村久子さんもヘレンケラーも、美しい女性でもある。