「耐え忍ぶことの大切さ」   2017.6

「若い時の苦労は買ってでもしろ」と格言のようなものがあります。
「艱難、汝を玉とす」とも言います。
 
私も、苦しい思いをしている人がいたら、決して、それは無駄にはならないと言いたい。
どんな苦しみも、そう長くは続かないものですよ。
いつか必ず、抜け出しています。
 
61年間の人生をふりかえると、私の人生は苦労の多い人生であったと思います。
そのことが、この頃、よかったのだとも思えるのです。
私が幼少の頃から父親は、酒を飲むと狂ったように暴れ、絶えず問題を引きおこしていました。
家庭内は非常に暗かったですね。
本当に嫌な思いをたくさんいたしました。
しかし、その原因の一つが私の出生の秘密にあることを知ったのは、ずいぶん後のことです。
「母をたずねて三千里」という物語を読み、食事中に、三千里とはどのくらい距離があるのかと聞いたことを思い出します。
近所のおばあさんに、「おかあさん、そっくりだね。いつもニコニコしているね」と言われ、そのことを母に話したら、急に母のキゲンが悪くなったことを思い出します。
小学3年生の頃は、何も悪いことをしていないのに、なぜ、自分は不幸なのだろうかと思い、神や仏はいないに違いないと思いました。
アンデルセンは少年のころ、靴磨きをして生活していたということを知り、うらやましくて都会に家出して靴磨きをしたいと思ったものです。
お腹に包丁をつきたてて切腹すれば、死ねると思いましたが、少し突き当てるだけで痛くて断念したこともあります。
だから作家の芥川龍之介や太宰治などが自殺したということを知ると、勇気のある立派な人に思えて、自殺したというだけで尊敬したものです。
小学校5年生の時に、友達の里美ちゃんが脳腫瘍で亡くなったときには、仏壇の中の阿弥陀如来を取り出して、頭を叩いてやりました。
罰があたるなら罰があたればいいとのおもいでした。
友達が先に死んだのだから、死というものが、それほど恐ろしくなくなったのも事実です。
ちょうどその頃から、家庭が比較的おだやかになり、それとともに私の学業成績もみるみる上向きにもなりました。
中学生の頃は、学年でトップを争うほどでしたから、なんだか順風満帆、怖いもの知らず、明るくほがらかな日々を送りました。
しかし、高校に入学後、失恋や祖父が殺害されるなどの事件が次から次へと起きて、薄闇に包まれた青春が始まりました。
それから妙な縁で警察官となり、貴重な体験もしました。
私は農家の生まれですから、農民の土地を守る成田闘争だけは、出動したくないと思っていたのですが、皮肉にも管区機動隊に2年間在籍し成田闘争に出動、おまけに次は第一機動隊に転勤となり、またいつまでとはなく成田闘争等に出動することになりました。それで第一機動隊に転勤とともに退職することを決断しました。
その時の、同期も今年の3月で全員退職となり、2月には何十年ぶりの同期会に出席しました。
寝食を共にし、困難をともに経験した仲間はやはりいいものです。
その後出版社のグループ企業内で30年ほど勤めましたが、2年に1回は上司と衝突したりして、部署の移動、退職、再就職、独立と波乱に満ちていました。
私のような人間は、上司にすれば煙たくて扱いにくいのだと思います。
妻にしても、妻にありがとうの一言も言わない、しかってばかりの私は嫌な夫にしか過ぎなかったと思います。
新しい彼を見つけて、妻は家を出ていきました。
これは、やはりかなりのショックでした。
その頃、会社は倒産するし、借金はあるはで、駅のホームを歩いていると線路にすいこまれそうで怖かったのを覚えています。
 
それで、私には、誇れるようなものはありませんが・・・。
今は、色々の苦難も良かったなと思うのです。
我慢して、こつこつ生きていれば、それなりに道は開けるものだと思います。
いつまでも、くじけてうじうじしていても始まりません。
嫌なことは、忘れて、新しい人生を一歩一歩、歩みたいものです。
最近の自分を見ていると、少々のことでは、くじけそうにないとも思うのです。
まあ、それは、わかりません。想像以上の苦難が待ち受けているかもしれません。
ただ、じっと耐える自信はあります。
それで、何とかなると思います。
 
私と同じように苦しんでいる人を見ると、少しでも応援したくなります。
けなげに生きている人を見ると、応援したくなります。
実は、おあいこで、そのような人は私を応援してくれるのでもあるのですが・・・。
お互い頑張りましょうね。
 
じっと、笑顔で忍耐です。



 
 
 
スマイル仏壇店内の観音様








 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。