「親鸞聖人と法然上人」  2017.7




親鸞聖人は法然上人の弟子である。
親鸞聖人と法然上人の年齢は40歳も離れている。
ある日若い親鸞聖人が、10人ほどの法然上人の弟子がいるところで「法然上人の念仏もこの私(親鸞)の念仏も同じだ」と言った。
多くの弟子が親鸞にとっては兄弟子であり、その多くが親鸞の発言をけしからんと非難して、法然上人に意見をもとめた。
法然上人は、10人ほどの弟子に親鸞の考えをどう思うかと一人一人に聞いたところ大半が反対の意見であった。
ところが法然上人は「親鸞のいう通り、私(法然)の念仏も親鸞の念仏も同じだ」と答えたという。
 
親鸞聖人は法然上人のことを絶対的に信頼したのもこのような経験もあってのことだと思う。
親鸞上人は、たとえ法然上人のいうように南無阿弥陀仏と念仏して、極楽浄土に行けなくても構わないという。
法然上人がおっしゃるのだから、まかり間違って、念仏して、地獄に落ちようが構わないという。
それだけ法然上人のことが好きで信頼しきっていた。
親鸞聖人は法然上人を信じるがゆえに、阿弥陀如来を信じたのであると思う。
歎異抄を読むと、親鸞聖人は南無阿弥陀仏と念仏しても喜びがわかない、極楽浄土に早く生まれたいという気にもならないというようなことが書かれている。
親鸞が心から喜びを感じて南無阿弥陀仏の念仏を唱えることができるようになったのは晩年のことであるようである。
それでも多くの衆生を念仏の世界へ導いた。

私の大好きな良寛さんの和歌に「良寛に辞世あるかと人とはば南無阿弥陀仏というとこたへよ」というのがある。
そして曹洞宗の僧であった良寛の墓が、良寛が終焉をを迎えた木村家の近所の浄土真宗のお寺にあることは驚きである。

 
すべての人を救うという念仏が、法然上人を救い、親鸞聖人を救わないということはない。
どんな人間でも救うのが、阿弥陀如来の願いであり、「南無阿弥陀仏」の念仏なのである。
 
阿弥陀如来の教えは1万回念仏をとなえることと1回念仏をとなえることも同じということであると思う。
仏教を勉強して阿弥陀如来の教えを勉強して念仏をとなえることと、仏教も阿弥陀如来のことも知らなくて念仏をとなえることも同じということであると思う。
 
阿弥陀如来だけでなく、すべての仏の願いは生きとし生けるものをすべて救うことである。
仏教は、善人悪人などの区別はしていない。
仏教を知る知らないなどの区別はしていない。
 
このようなことを言えば、必ず平気で悪事を働く人間が出る。
現代はかなりの知能犯が多くて、ずるがしこく人知れず悪事を働く。
確かにこの世は、真っ暗闇にも見える。
そんな中で、美しいヒカリを放つものがある。
生き難き世の中を愛をもって生きることほどすばらしいことはないのかもしれない。
 
 
 
師のない仏法はないそうである。
仏教は人から人に伝わるものであるらしい。
親鸞聖人の師はまさしく法然上人である。
このような師に巡りあえることは、人生最大の幸せに等しい。
 
男が女を好きになり、女が男を好きになる。
本当に愛が深ければ、そこにその人がいるだけで人生は輝いて見える。
男と女が結婚して子供が生まれる。
初めての子供は光り輝いて見えるものだ。
 
しかし、それらの愛は多くは10年もしないうちに輝きを失う。
 
師と弟子の愛も多くはそうであろう。
 
けれども、輝きを失わない愛がないわけではない。
 
 
 
 
 

 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。

    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
      一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。







 水書房 「わたしの愛する仏たち」より  薬師寺月光菩薩