「真実を求めてひとすじに生きん」

私は、社会や人から束縛されたりするのは嫌いだし、信心は大切だと思っていますが、盲信では困ると思っています。
真実なものは、慈悲や愛に満ちて大らかで、ユーモアにもあふれるものだと思います。
仏法は、人々を苦しみから救い、人間の幸せな生き方を教えてくれます。
師のない、仏法というものはないと聞いています。
仏法を学ぶためには、師が必要です。
私の師である良寛と紀野一義先生も、最近の坊主は私利私欲にはしって、仏の道を学ぶことを忘れている者が多いと痛烈な批判をしています。
まあ、いつの時代もそうです。
師とあおげる師をもつことの難しさもあります。
浄土真宗では、同行という言葉を聞きます。
師弟関係ではなく、ともに仏法に学ぶ道を行く者ということでしょうか。
日本には、仏教というすばらしい教えがあるのに、この教えを知らず、教えを求めてさまよう人も多いように思います。
私たちは、遠くにあるものばかりを求めて、身の回りにある、すばらしいものを見落としていることが多いようです。
この大都会東京にも、タンポポや雑草がたくましく咲き、家々の軒下や庭には、季節折々の美しい花が咲いています。
私たちは、見ているようで見ていないことも多く。
気づけば、意外と美しい世界が、身近に開けるように思います。