紀野一義先生について   2017年12月

私が初めて紀野一義先生を知ったのは29才の秋だった。
その年から5年前後も松江市で仕事をすることになったのだが、その会社の書棚に紀野先生の「般若心経を読む」という講談社現代新書があった。
その新書版のカバーの紀野先生の顔写真を見て「なんて頑固一徹な顔なんだろう。この人は嘘などつかないだろうな」と思った。
その印象は強くて、どんな人なのだろうかと興味深く何冊かの本を読み「法華経の風光」というカセットテープの講話も何度も聞いたものだ。
いまだに「般若心経を読む」「法華経を読む」等の著書数十冊を繰り返し読み、「正法眼蔵に学ぶ」「水と風に聞く」というCDの講話を繰り返し聞いている。
ものぐさな私が、何度も何度も読み聞くということに、私ながら、そんな私に驚いている。
40才になる前に、狛江市のご自宅を訪ねたが、あいにく先生もご家族の方も留守だった。
そして45才の頃、インターネットのおかげで紀野先生が、今も池上本門寺で講座を開いていらっしゃることがわかり、会社を早退して出席した。
半年に一度の出席だったであろうかと思う。すると紀野先生が講話の中で「私も一生懸命話しをしている。毎回出席しなさい」とおっしゃった。
私に言われているようで、それで私は、毎月、池上本門寺に通うことになった。
しばらくして先生のそばを通りかかると「おう、あんたか。百騎の会があるので、日曜日にいらっしゃい」ということになり、新入りの私が、いきなり百騎の会に出席することになった。
そのうち先生が主幹の真如会の例会、谷中の全生庵、鎌倉の大仏、京都の例会と、私は、いつのまにか先生のお伴をするようになっていた。
先生はおっしゃった「本を読むだけでは駄目だ。その人の話し直接会って聞かなければいけない。聞くなら鼻毛が見えるくらい、真ん前で聞きなさい。一緒に食事をすることも大切だ」
私は、いつも最前列で話しを聞き、先生と何度も二人きりの食事もした。
先生は、ある意味何もかも見せてくださったようだ。
先生の著書は百冊以上もある。30冊程度は私も所有しているが、今でも10冊程度は、引っ越しの荷物から引っ張り出しては、ありがたくも繰り返し繰り返し読んでいる。
何度読んでも、新しい気づきがある。
おそらく一生かかっても、先生の教えの百分の一も理解できないであろう。
しかし、私自身は、その教えの片りんに触れただけで、ずいぶんとたくましくなった。
真っ暗闇の中を右往左往していたような私の人生は、少し輝きはじめた。
おそらく今後も、どうしようもないような苦難に出会い、右往左往することがあろうかとは思う。
しかし、何とか、笑顔をとりもどして生きていけるのではないかと思う。
 
 
先月、久しぶりに先生の著書が復刊された。
その本を書店で見つけた、同い歳の坊さんが、感激して電話してきた。
最初何のことだかわからなかったが、大法輪閣という出版社から「法華経を読む」という本が復刊されたのだ。
どうしても先生の著書を広めたいという希望の光を感じてうれしく思っている。
 

2017年11月10日に復刊として初版が大法輪閣から出版された。



当時、講談社学術新書のカバーに掲載の先生の顔写真
先生60歳前後、今の新書には顔写真は掲載されていない


今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。

    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
      一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。