花祭り(4月8日はお釈迦様の誕生日)の思い出


私が小学校に入学する前のことだろうか、地元のお寺で花祭りがあったことを覚えている。

大人の背丈もある白い像に館がのせてあり、おそらくその中に、お釈迦様の像があったのだろう。

甘酒やお菓子をいただいたように思う。

その後、そのお寺でも、どこのお寺でも花祭りらしい催しは見なくなった。

私の地元のお寺さんの住職は郡内でも一番えらいお坊様だったのだと、ある教師が話しているのを聞いたことがある。

私には、そのご住職の記憶がない。しかし、そのご住職に、そっと見守られていたのかもしれないと思ったりもする。

私の幼少期には、ほのぼのとした大自然と大人たちの笑顔に包まれた思い出がいっぱいだ。

そのご住職が若くしてお亡くなりなった頃から、村は急激にさびれ、ただの村になったように思う。

もっともわが村(現在は広域合併で町)は、インターチェンジができてホームセンターもあればJA、高速バス乗場、レストラン、コンビニができている。

それでも、がらんとしてうらさびしい。

無骨な私の祖父と祖母はお寺で聴聞会があると出かけていたが、そのようなことが老人のパワーや村のパワーにもなっていたのではないだろうか。

嫌なことやつらいことがあっても、仏様におまかせして笑顔をとりもどす。

村には長老のような存在もそこかしこにいて、悩み苦しみを聞いてくれる。

話しを聞いてくれるだけで、心は少し軽くなるものだ。

 

私は、その長老のような存在になろうかと思うのであるが、これがなかなか、そうは簡単にはいかない。

お客様や知人が、人生相談で電話をかけてくることもあるのだが、いらいらしてぞんざいに対応することも多い。

ただ話しを聞いてあげるだけで良いのだが、それがなかなかできない。

つい叱りとばしたくなるから困ったものである。

お客様や知人も、私の怒りやいらだちを肌で感じるのだろう。しばらくは電話をしてこない。

 

それでも、以前にくらべれば、お客様も知人もかなりしっかりしてきたなと思うことも多い。

それがせめてもの喜びでありなぐさめだ。


2016年6月  ブラジルのクリチバ市での恒例の花祭り  サンパウロ新聞より (ブラジルは日系の移民の人が多い)

 

 

 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。