2018年6月  ナムアミダブツと郷土の先輩(大瀛和上)について


仏教の基本は衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)で、すべての生きとし生けるものを救うということである。
阿弥陀如来は、ナムアミダブツとアミダ如来の名前を呼ぶものをすべて救ってやりという誓願のもとに悟りを開かれた。
釈迦如来も大日如来等の如来の願いも衆生無辺誓願度であり、仏教徒の一番大切な誓いも衆生無辺誓願度である。
思えば世界平和に一番寄与できそうな教えである。
 
しかし、現実は生易しくはない。
 
江戸時代の1800年前後のことであるが、北陸の真宗の門徒(一向宗)の中に、仏の衆生無辺誓願度の誓願があるのであるから、人々はすでに救われている。
仏が衆生をすべて救うという誓願のもとにすでに悟りを開かれたのだから、その事実さえ知っていれば、念仏も必要ないという教えが広まったようである。
私も、この教えに大いに納得するものでもある。
ところが、京都の真宗の本山である本願寺では、この教えは間違っている、身口意を正して念仏しなければならないと主張した。
姿勢を正して、よくよく仏教を勉強して、心をこめて念仏しなければならないということであろうか。
あたりまえといえば、あたりまえのようであるが、実は、これは、阿弥陀如来の教えや親鸞聖人の教えからは、大きくかけ離れているのではないだろうか。
この本山である本願寺の教えは、間違っているという地方の僧達がいた。
その代表は大瀛和上(だいえい、1759年1月30日宝暦9年1月2日) - 1804年6月11日文化元年5月4日))である。
大瀛和上の説がどのようなものであったかは知らない。
この問題は幕府寺社奉行の裁定となり、大瀛和上の死後2年後に大瀛和上の説が正しいということに決着したようである。
その間、大瀛和上は、もともと病弱でしたから、江戸での生活、寺社奉行の取り調べも大変であったろうと思う。
 
大瀛和上の説は知らないので私の想像に過ぎないが、阿弥陀如来も親鸞聖人も、仏教を勉強しなさいとはいっていない、姿勢を正して念仏しなさいとはいっていない、信心を深めて精神誠意念仏しなさいとは言っていない。
ただアミダの名前を呼びなさい、ナムアミダブツとアミダ如来を呼びなさい、念仏しなさいと言っているだけである。
衆生をすべて救うのに、衆生のすべてができないようなことを、阿弥陀如来も親鸞聖人もおっしゃるはずがない。
親鸞聖人でさえ、自然に心から阿弥陀如来の名前を呼ぶことができるようになったのは晩年のことであることは真宗の人なら多く知っていることである。
ましてや、普通の人間が阿弥陀如来の教えをよく理解して、姿勢を正して、心をこめてナムアミダブツとはなかなか言えない。
ただナムアミダブツと言うことなら、多くの人が言える。
本来、南無阿弥陀仏の教えの一番大切なことは、「私の名前を呼ぶものをすべて救いたいという誓願の上に悟りを開かれた阿弥陀如来の名前を呼び、助けを願うことである。」
親鸞聖人の教えもただそれだけのことであると思う。
「ナムアミダブツ」と阿弥陀如来を呼ぶだけで衆生は救われるのである。
そのことが、とてもありがたい。
特定の宗派に属さない私であるが、いざとなれば「ナムアミダブツ」である。
ましてや、私の大好きな良寛さんも曹洞宗の僧であったのだが和歌に歌っている「良寛に 辞世あるかと 人とわば 南無阿弥陀仏と いうとこたえよ」
 
大瀛和上の生まれは、広島県の山奥の私の実家の隣村の筒賀村です。
現在は安芸太田町となっていますが明治以降も長く村民税も払わなくて済んだという裕福な村でもありました。
北陸もそういうところがあるようですが、真宗の門徒が協力して理想的な自治体を作っていたのです。
 
明日6月11日は、大瀛和上の命日です。
筑地本願寺の正門の右側に親鸞聖人の像があり、その手前の二つ目が大瀛和上の墓です。
最近知った故郷の大瀛和上ですが、ありがたくも妙に懐かしい人です。


 

今田三哲著 若き大瀛の詩集「竿水漫録」 大瀛事績研究会発行



 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。