「貧乏の中での幸せ」   2018年7月

世の中、どうもお金のあるないで幸せ不幸せが決まってしまうようで、困ったものだ。
しかし、最近は葬儀も立派な方々でも家族葬が多くなり、何百万円の葬儀費用が数十万円でも済むようになり、仏壇にしても数万円で立派な仏壇が入手できるようになった。
少しずつ、お金に対する価値観も変化してきているのかもしれない。

唐の時代に龐居士(ほうこじ)という方がいらしたのですが、この方は、非常に裕福な家庭に生まれながら、その財産をを大きな河の中に沈めてから在家のまま仏門に入られました。
石頭和尚や馬祖について僧にはならず出家はせずに居士として修行なさり、それぞれの祖師方に劣らぬ悟りを得られたようです。
その娘の霊照も仏道を究めていたらしく、よく父を助け、籠を作り売って生活をしていたようです。
その生活は貧乏ではあったでしょうが、満ち足りたものであったろうと思います。
 
財産を河の中に沈めるにあたり、周囲は、どうせならその財産を世の中のために使えばよいと意見をしたようですが、龐居士(ほうこじ)は、財産は人のためにならないと言ったようです。
子孫に美田を残さずという諺もありますが、財産やお金は、よくよく注意しなければならないのだと思います。
 
お釈迦様も王子の地位を捨てて、一生乞食の生活をなさいました。
私の好きな良寛さんも名主の家に生まれながら、出家してからは一生乞食の生活でした。
その乞食の生活の中でこそ、最高の喜びと幸せを見出すことができるということであろうかと思います。
 
つい私たちは、お金お金と、お金を求めます。
今、貧しい人、お金のない人は本当は幸せなのかもしれません。
富めることよりも貧乏の中でこそ、本当の幸せを掴むことができるのだろうと思います。
なかなか俗人は、乞食のような生活には満足できないというでしょう。
 
しかし、悟ということが、そんなに難しいことであるのであれば、衆生は救われません。
世界中の子供達の多くは、お金のある無いにかかわらず、はちきれんばかりの笑顔で楽しそうにしていることがありますね。
悲しいことや嫌なことがあっても、「泣いたカラスがもう笑った」式で、元気よく生きています。
そんな子供達に慰められている親御さんも多いのではないでしょうか。
明るくすがすがしく生きるヒントは子供達の生き方にあるのかもしれません。
 
人の幸せは、そんなに難しいことではないはずです。
たまには、子供の頃の幸せのひと時を思い出して、今の自分にかけているものに思いをはせて見ることもいいかもしれない。





「世界を平和にする子供たちの笑顔」より



 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。