「常懐悲感心遂醒悟(じょうえひかんしんすいしょうご)



常懐悲感心遂醒悟(じょうえひかんしんすいしょうご)という言葉があります。
一般的には、常に心に悲しみを抱いていれば、心は醒めて遂には悟りに至るという意味だと思います。
法華経如来寿量品に書かれている言葉です。)
毒を飲んだ子供が、父である医者が作った解毒剤を毒の作用で薬として信じることができずに飲んでくれない。
そのままでは、毒に侵され、子供は苦しみながら死んでしまう。
そこで医者である父は、子供の心を覚ますために、子供から離れ旅に出て、父が死んだという嘘の知らせを子供に伝える。
子供は、父が死んだという悲しみになげき、やがて心が覚めていき、解毒剤を薬として信じることができるようになり、ようやく解毒剤を飲み、子供は毒の苦しみから救われ、命も助かったという話です。(法華経には、このような童話のようなたとえ話がたくさんあります)
 
ちょうど10年前、私が25年間務めたグループ会社が倒産しました。
その数か月後には、そこはかとなく優しく男らしかった上司が膵臓癌で亡くなりました。
そして、それから1月もしないうちに私は妻の浮気に気づくことになりました。
浮気の一つや二つは許す気持ちはあったのですが、どうも様子がおかしい。
妻に男と別れろと言ったら、「あなたと別れます」と言われてしまいました。
結婚して13年間、子供の教育を中心に意見の食い違いはありましたが、愛し合っている夫婦だと思っていました。
一番妻に支えてほしいときに、妻は私を裏切ったのです。
さすがに、私の心も悲鳴を上げたいほど、心ここにあらずの状態で、どうしようもない不安と悲しみでいっぱいでした。
駅のホームを歩いていると、身体が線路にすいこまれそうで、命の危険も感じました。
思い余って、わが師に相談したら「わかれなさい」とのことでした。
この「わかれなさい」で、妻とは別れる決心をしました。
もっとも、未練たらたらで、恥ずかしながら土下座して妻に、もう一度やりなおしたいとお願いもしたのですが・・・。
妻は、私との別れを選んでいるようでしたので、きっぱりと別れました。
私はよく言えば熱血漢で激情型ですから、一歩間違うと、憎しみと怒りと絶望から、どんな事件が起きても不思議ではなかったはずです。
わが師の「わかれなさい」の言葉がなかったら、私は、どうなっていたのでしょうか。
今でも、私の周囲の人たちは、別れた妻がどうしているのだろうかと、私に聞きます。
私にすれば、忘れかけた古傷にさわられて、少し痛いのですが、笑って聞き流すこともできるようになりました。
一つの悲しみも10年もたてば、遠い過去の思い出です。
 
ところで、私なりの解釈では、常懐悲感心遂醒悟(じょうえひかんしんすいしょうご)は、悲しみは人にしゃべったりせずに、静かに心に常に抱いていなければならない。
そうすることによって、心は醒めて遂には悟りに至る、ということなのです。
私は、自分の悲しみの一つを、多くの人にしゃべってしまいました。
でも、まだ、人にはいえない悲しみが、私には一つ二つあるのです。
この悲しみを、今、しばらく胸にしまって、生きていこうと思います。