2018.10  水色と石ころ

 

日の暮れた街々のてっぺんには

なぜか水色の空がはてしなく広がっていた

僕はずっと向こうの星に

きれいな娘が住んでいるかもしれないと思うと

だんだんと 小さな点になり

石ころの中の原子のような気になった

そして つつましく生きようと思った

何もかもが僕の心に生きている

僕はせせこましく飛躍することなどよして

心に感じるものだけを愛そう

なぜか 石ころさえもが愛くるしいのだ

 

 

 

この詩のような短い散文は、昭和50年で私が19歳、初夏か初秋の頃書いたものではなかったかと思います。

私は、土曜日の夜、警察学校の生徒のほとんどが外泊許可をとり誰もいなくなった屋上の洗濯干場で夜空を眺めていました。

私の17才から22才くらいまでは、何となく死んでしまいたいような日々でした。

それでも生きたのは、時々、この詩のような思いがあったからだと思う。

(20歳のときに、いつ死ぬかもしれないので、記念にと詩集を1冊作りました。興味ある方はご覧ください)

 

何か美しいもの、その美しいもののためなら命も惜しくないようなもの。

そんなものにめぐり会いたい。

 

本当は、すぐそばにその美しいものがあるのかもしれないのに、たちまち、その美しさの中に醜いものを見てしまう。

おそらくは、相手が悪いのではなく、私自身の心が悪いのだと思う。

だから、自分の心を磨いていくことも大切だと思う。

 

「人生は美しく生きたくそうろう」たしか会津八一先生の言葉だと思う。

紀野先生は、尾骶骨に響くような話を聞きたいし話したいとおっしゃったこともある。

「人はぬくぬくするとろくなことはしない。人は追いつめられると龍が玉をはくようないい仕事をする。」

苦難というものは、一歩間違うと自分の命をたったり、どうしようもなく意地悪な人間を作ったりもするが、その反面何もかもよけいなものはそぎ落として美しい魂を作ってくれることもある。

苦難に出会ったとき、どう生きるか。

苦難も決して悪くはない。

 

「肯定 肯定 絶対肯定」  これはわが師の教えでもある。







今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。


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