2018.11   不思議な話し

私は、現在、メーカー直営の仏壇店のお手伝いもしています。
先日親子二人で来店されたお客様がありました。
開店時間前からお待ちだったので、めずらしいなと思っていました。
お話しもトントン拍子に進み、契約書にサインしてもらうときに、お客様が「私の名前は誰も読めない。もし読めたら昼ごはんをご馳走するよ」 とのことでした。
お名前は「豊運」。
確かに見たことのない名前です。
少し考えましたが、何となく「トヨカズ」と言いました。
娘さんとお父さんはきょとんとして、無表情なので、単純な名前を言ってしまったなと思っていましたが、少しの沈黙の後に「どうして読めたんだ。 あんたは、お坊さんか? 豊運という、この名前はお坊さんにつけてもらった名前で、人生80年、誰も、この名前を読めた人間はいない」とのことでした。
よくよくお話しを聞くと、葬式は互助会でやり、仏壇も互助会で購入する予定だったのですが、たまたま見たチラシで、私がいる仏壇店に行ってみようということなったそうです。
そのこと自体が予定外で、仏壇購入を即決したことも予定外、名前を言い当てられたことは想像を絶する思いだったようです。
娘さんもそんないきさつもよくご存じだったので、あいた口がふさがないというか、口をあけたままきょとんとしたままだったのです。
なんだか嬉しそう帰っていかれましたが、さらなるご縁があればおもしろいですね。


誰にも不思議な体験はあるのではないでしょうか。

我師が戦争中につり橋から自転車ごと落ちたけれど無傷だったという話しをされたことがありました。
実は私も、小学校6年生のときに自転車ごと川に転落して無傷だったことがあります。
落ちる瞬間からすぐに頭の中がくるくる回転してしばらく意識を無くしたのではないかと思いますが、弟の叫ぶ声が聞こえてきました。
自転車は前輪がくねくねに曲がり使いものにならなくなるほどだったのに、私はかすり傷一つもなかったのです。
周辺の川に自転車や車で転落した人はほとんど死んでいます。
私は、ひょとしたら、あの時に死んでしまっていて、別な次元を生きているのではないかと思うこともあります。
少し転んでも、かすり傷はできます。かすり傷一つもなかったということが、なおさら不思議なのです。

最近、あのときには、実の母が編んでくれたセーターを着ていたのではないかと思うことがあります。 実の母が編んでくれたとは知らず、私のお気に入りのセーターが一枚あったのです。
あの事故で確か着ていたセーターか上着は擦り切れていたと思います。 母の愛情が私を救ってくれたのかもしれません。

思い出は上手に思い出すことも大切だそうです。


この話をきっかけに、あなたはどんな不思議な話しを思い出すのでしょうか。


今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。