2019.2月   野の花の風と陽光



我が師である紀野一義先生の師である朝比奈宗源老師の晩年「紀野さん、生きるってことは大変だな」とおっしゃった。
「その時、風が吹き抜けた。その風をおやじの風という。」と、紀野先生は書き留められた。
おそらく朝比奈老師にも紀野先生にも予期しないような大変な出来事があったのではないかと思う。
それは人知れず、家族に関わることが多いのではないだろうか。
どちらにせよ。
生きるっていうことは、大変なんだと思う。
ましてや平凡な人間が生きることは、さらに大変で、皆さんどうのように困難を乗り切っていらっしゃるのだろうか。
生きていることがつまらなく思えるような日々の中で、先日、ふと、素敵な人にめぐり逢った。
ただ、何気ない会話をしただけなのだが、世間ずれしていない清楚な娘さんだった。
その時、私の心をかすかに風が吹き抜けた。
その風を「野の花の風」と私は書き留めることにする。
 
紀野先生が「風を感じるとき、愛が近づいている」とおっしゃたことがある。
 
おそらく、彼女の人生にも色々な苦難があったに違いないが、それを感じさせない優しい女性だった。
そのような女性に会えたというだけで、まだ、人間捨てたものではないなと思う。
もっともっとそんな人達に会いたいし、そんな人達をしっかりと守ってあげたいなと思う。
 
男同士でも、顔を見るだけで、その人間の生きざまはわかるような気がする。
なかなかいい男やいい女にはめぐり逢わない。
翻って、自分はどうなんだ、と思う。
 
出会えただけで誰かのはげみになるような、そんな人間になりたい。
 
そんなときに、ふと、思い出すことがある。
中学1年生の12月、なぜか人気のない隣りのクラスにいて、なぜか一人の少女がいて、「野田君、私何もできないけれど、野田君を応援しているから・・・」と言って走り去った少女がいた。
それが誰だったのか、はっきりと思出せないまま、何十年もたち、ある日、ひょっとして、あの時の少女は、あの娘だったのだと思いあたった。
彼女は、ずいぶんとおとなしく、リンゴのように赤いほっぺが印象的だが、まるで目立たない同級生だった。
話したことは一度もなかったはずだ。
私は、生来の正義感の強さから、よけいなことにちょっかいを出して、色んなトラブルをかかえていた。
もううんざりだと思っていたころだ。
「野田君を応援しているから・・・」その時は、その唐突な言葉を、何とも感じず、すっかりと、忘れてしまっていたのに、ふと、数年前、その彼女に会ったとき、あの時の同級生は彼女だったのだと思った。
あいかわらず直接話しをしたことはないが、少し離れたところから彼女の姿を見たとき、あの時の彼女だと思った。
 
彼女も少し私を見ていたかもしれないが、彼女の姿が、冬なのに春の陽光に包まれていた。
彼女が、今も、「野田君を応援している・・・」かどうかは、わからない。
おそらく彼女自身も、そんなことは忘れているだろう。
何でもない思い出が、ある日、輝きはじめるということもあるのである。
 
思い出も、上手に思い出すと、光輝くものである。






 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。