「家族の問題について」  2019.6.

最近家族のひきこもり等が起因となる殺人事件が立て続けに発生しています。
多かれ少なかれ家族には、何か社会問題も引き起こすような要素はあるものです。
今はないと思っていても何十年の歳月の中に、犯罪に手をそめてしまうような身内は必ず出現するものかもしれません。
当然、その被害者になることもあります。
私の父親も祖父母に溺愛されたことが原因の一つでしょうが、わがままで内弁慶で酒癖は悪く年柄年中トラブルが発生していました。
私が小学校3年生頃のとき、秋祭りで泥酔した父親を祖父が抱きかかえて家に連れ帰り、真っ暗の土間から座敷に引き上げるとき、
「おまえさえいなければ、この家はうまくいくんだ」と吐き捨てるように言ったことを、なぜかはっきりと覚えています。
当時祖父は、農協の組合長でもあり町議会議員でもあり、ある意味町の有力者であり、こ苦労人でもあり、人格者でもあり、熱心な真宗の門徒でもあったのです。
慈母に敗子(はいし)ありといいますが、祖母も初めての長男であり、私の父のことを特別に溺愛したようです。
そのことが他の兄弟にとっては、納得のいかないことだったかもしれません。
祖母はいつもトシユキがトシユキがと我が父のことを心配していました。
トシユキは利行と書き、仏教用語では他を利するという意味があるようですが、真逆で自分のことばかり考えて我儘な性格でした。
他人からよくしてもらって当たり前、よくしてくれない人間はこの野郎!といった感じで、自分が一番生意気なのに、あいつは生意気だと、よく言っていました。
その父親の息子が私ですから、私も、かなりどうしようもない人間の一人にすぎないと思います。
 
私が、子供の頃のことですから、時効といえば時効なのですが、金属製の容器に入った注射器が縁側の戸袋の隙間から出てきたことがあります。
私はその頃、子供向けの昆虫採集用の注射器を使っていたので、それがほしくて大喜びして祖父に聞いたところ、祖父は激怒しました。
どうやらそれは、父親が覚せい剤を打つのに使用していたのではないかと思います。
祖父にとっては、父は手に負えない、どうしようもない息子ですし、私にとっては、早く死んでくれればいいような父でした。
こんな父親でも、晩年は孫やひ孫に囲まれ、幸せな最期を迎えたことは、一つの事実なのです。
 
50才前半で脳梗塞で倒れ、その後もあいかわらず酒も飲み、危篤状態に陥ったのは、数回以上。
80歳で危篤になり、本当にこれが最後だというので、しぶしぶ広島の実家に帰ったら、意外と元気そうで、あと2、3年以上は生きそうだったので、父親に「何だ、元気そうじゃないか。あと2、3年は生きそうだね」と言ったら、酸素吸入器のマスクをつけた顔で、うん、とうなづいていました。
5分も父親のそばにいなかったと思います。
しかし、父親の目が、あまりにもきれいに澄んでいたので、私は、どきりとしました。
中学1年生のときに、初恋の女性に会って、その目の美しさにドキリとしたように、父親の最期の美しい目にドキリとしました。
私にとっては、その目の美しさが驚きでもあり、父親がおそらくは、美しい気持ちの境地にいたって最期を迎えてくれることが、嬉しくもあり安心でもありました。
親子というもの、家族というものは複雑であり、ややこしくもあり、大変な存在ではあります。
 
仏門に入るときには、各宗派、共通した誓願があるはずです。
その一つが恩愛を断ち切るということです。
恩愛とは親子や家族等の恩や愛情を断ち切るということです。
仏門とは、真理を求める門でもあると思います。
真理は、親子の愛とか、夫婦の愛とかは断ち切らなければ到着できないということでしょう。
本当の幸せ、喜び、ひいていえば、人類の幸せには、親子の愛、夫婦の愛、家族の愛も断ち切ることが必要ということだと思います。
そして断ち切った上、皆が仲良く、わきあいあいと生きていくということではないでしょうか。
 
こんなことは、誰も結論づけては言えないし書けません。
 
わが師が「迷っても悟っても 仏のいのちの中  死んだら また会おうな」と書いてくださったことがあります。
 
どんな間違いを犯そうが、どんな犯罪の被害者になろうが、どんなことが起きようとも、気持ちを切り替えれば、悩みも半減します。
それぞれお悩みの方、どうか気持ちや考えを切り替えて生きてください。
 
 
 
 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。