「肯定、肯定、(絶対肯定)の世界」

雨が降れば、外廻りの仕事をする人は、うんざりします。
私も、昔10年以上も営業マンとして個別訪問していたので、雨の日はやはりうんざりしたものです。
うんざりした気持ちで営業しても、成果は望めません。
自分で自分にやる気を起こさなくてはなりません。
運が良ければ、上司や周囲の人がやる気を起こさせてくれるかもしれませんが・・・。
自分なりに、毎日のやる気を引き出すことができるかどうかが、営業マンにとっては大切です。
 
かなり昔の話しですが警察官向けの雑誌で、聞き込み捜査の超ベテラン刑事の話しが載っていました。
そのベテラン刑事は聞き込み捜査は雨の日がチャンスだというのです。
雨の日は在宅率が高いし、隣近所の人目が少なくなるので、人目があると話せないことも話してくれます。
それだけではなく、そのベテラン刑事は、あえて雨にずぶ濡れの姿で聞き込みをするのだそうです。
そうすると、普段の日なら相手もしてくれないような人が「ごくろう様です。実は・・・・」と、有力な情報を提供してくれることが多いのだそうです。
考えてみれば、誰でも警察にはかかわりたくないし、人の悪口や、よくはっきりしないことを警察にあえて話したくはないでしょう。
ところが、一生懸命にずぶ濡れになりながらも聞き込みをしている刑事さんの姿を見れば、ごくろう様と思うし、少しでも協力してあげようと思うのが人の人情だと思います。
 
大手靴会社のセールスマンが、アフリカの各国に行き本社に第一報を入れたそうです。
一人のセールスマンは「ほとんどの人が靴を履いていない、売れる見込みはほとんどない最悪の国だ」
一人のセールスマンは「ほとんどの人が靴を履いていない、これからいくらでも売れる最高の国だ」
 
コップ半分の水も「半分しかない」「半分もある」と真逆の見方ができます。
 
ピンチはチャンス。
 
禍福はあざなえる縄のごとし。
 
私の親戚の女性が、農作業で指一本を切断して失くしたので、私の友人が慰めたら、彼女は「指1本の切断だけですんで良かった。」と本当に喜んでいたそうです。
彼女は、一言二言言葉を交わした程度のお付き合いしかない親戚の女性なのですが、この話しを、私は誇らしく記憶に留めています。
 
お釈迦様の弟子に、元王様がいました。その元王様が、いつも幸せだと言っているので、他の弟子の一人が「王様が出家して、乞食の生活をして本当に幸せだと思っているのだろうか。嘘をついているのではないか」とお釈迦様に聞きました。お釈迦様は、元王様の本人に聞いてみなさいといわれました。元王様は「王であったころは、いつ他国から攻め込まれるか、いつ殺されるかと毎日が心配だった。今は、出家してその心配が一切なくなったので、幸せでいっぱいなのだ」と答えました。
 
当店のお客様で妙齢で美しく賢い方がいらっしゃいます。若い頃は、さぞかし美人で男どもからもちやほやされた経験もおありになったであろうと思います。
そのお客様が「姉がすごく美しい人だったの。〇〇の僧正様も若い頃、姉に手紙を書いてよこしたのよ・・・」お話しをうかがっているうちに、お客様は姉妹の中では、お姉さまがはるかに美しい存在で、ご本人はコンプレックスを感じていらしたのだと思いました。でもそのコンプレックスが、美人を鼻にかけないさばけた性格につながったのではないかと思います。
 
否定もよし、肯定もよし。それぞれによさはあるものです。
人が変わるとしたら、そうだな、と思ったときです。
そうだなと、思った人が一人でもいらっしゃれば、それはよかったと思います。