2019.11  臥薪嘗胆(がしんしょうたん)と法然上人
 
 
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)は、復讐を成功するために苦労に耐えるという意味を持つ、中国の故事成語である。紀元前5世紀のの国家間の戦争に由来する。この成語の現在確認できる初出は、「嘗胆」のみならば『史記』巻41越王勾践世家であるが、「臥薪嘗胆」と揃った形では蘇軾1037年 - 1101年)の詩『擬孫権答曹操書』中の句「僕受遺以来、臥薪嘗胆』(11世紀後半に成立)に求められる。明治時代日本において、三国干渉が発生した時に、ロシア帝国に復讐するために耐えようという機運を表すスローガンとして広く使われた。(ウィキペディアより)
 
 臥薪嘗胆の言葉を初めて知ったのは、高校の漢文の授業でした。
 復讐するために、その恨みの気持ちを決して忘れてはならないと、とげとげしい薪の上で寝る、苦い肝を舐める。そのたびに恨みと復讐を思い、心に刻み込む。当時は、男なら、そのぐらい気力がないといけないぐらいに思いもし、なかなかの名言だとも思っていました。
 でも何とも、末、恐ろしいような言葉です。
 仇(アダ)をとる、仇をかえす。仇討ち。それが、美徳とする考えが確かにあるのです。
 
 今、韓国がしきりに反日で、国をあげて、日本への恨みを返そうとしています。
 つい最近の日本も第二次大戦中は「鬼畜米英」と、アメリカやイギリスを恨み、目の敵にしていたのです。
 
 台湾や朝鮮半島も日本の統治下に、同じようにあったのに、台湾の人々は日本人に非常に好意的です。
 しかし朝鮮半島の人は、日本人に非常に恨みを抱いています。
 それは台湾にいた日本人が、台湾の人々のために非常によく心も身も尽くした結果だろうと思います。
 朝鮮半島でも、朝鮮の人々に非常によく尽くした人々もいたのですが、やはり、それ以上に、虐げたことが多かったのであろうと思います。
 それと長い歴史の中で、いうにいえない複雑な思いもあるのでであろうとは思います。
 
 詩人の坂村真民さんは、戦争中朝鮮半島で女学校の教師をなさっていました。
 教え子を命がけで守っていらっしゃいましたから、教え子たちは坂村真民さんのことを戦後も慕っています。
 教え子さんの多くは、日本のことを決して悪くは思っていらっしゃらないことだと思います。
 朝鮮半島では、坂村真民さんような人が少なかったということでしょうか。
 
 坂村真民さんと我師である紀野一義先生は、親しい間柄でいらしたのですが、紀野先生は戦争中は台湾で工兵の将校として過ごされました。
 台湾は沖縄と並んで、米軍が上陸拠点として重要視した拠点ですから、爆撃がすごく、その結果不発弾もすごい量でした。
 紀野先生の所属する連隊の不発弾処理の専門部隊は、その不発弾処理に失敗して、壊滅状態でした。
 台湾の農民の多くは、不発弾が危なくて、農作業もできない状況があったようです。
 しかし軍は「不発弾にさわるべからず」という通達を出すだけであったようです。
 そこで紀野先生は、その通達も無視して、農民のためにも、不発弾の処理を行いました。
 その数1752発。
 特殊な爆弾もあったようですし、それでなくても一発の爆弾の処理は命がけです。
 三度ばかりは、爆弾の信管をぬいた瞬間にグサリと信管の針が紀野先生の指に突きささったことがあったようです。
 そのように現地の人々のために、命がけでで尽くした日本人も多くいるのです。
 
 
 ところで法然上人の父上のことですが、今の岡山県の県北で税を徴収するお役人であり侍でいらしたようです。
 税を徴収する役目柄、どうしても人の恨みをかうこともあったようです。
 その恨みによって、法然上人の父上は、敵対する侍によって、殺されてしまいます。
 子供の法然上人もその場に居合わせていたようですが、臨終の言葉は「決して仇討ちなどはしてはならない。このようなことが起きないようにすることが大切だ」というようなことをおっしゃたようです。
 仏教では「恨みは恨みによってはなくならない」と教えています。
 法然上人が出家なさったのも、父上の思いがあればこそのことであろうと思います。
 
 世界には、色々な宗教も思想も教えもあります。
 残念ながら、その教えは、どこかで対立したり、争いのもとになります。
 
 しかし、仏教の大前提は「衆生無辺誓願度」で、生きとし生けるもののすべての幸せです。
 お釈迦様は「恨みは恨みによってではなくならない」と教えていらっしゃいます。
 真の仏教を学ぶことが、世界平和につながることを祈ります。
 
 

 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。