2019.12   サンタクロースとキリストとブッダ
 
 もうじきクリスマスです。
 63才の私も子供の頃、我が家の煙突があまりにも細くて、サンタクロースが入ってこれないのではないかと心配したことを思い出します。
 我が家の娘など、小学5年生でも、今年はサンタクロースが来ないかもしれないと、真顔で心配していたことも思い出します。
 最近はクリスマスのプレゼントも、ご縁がなくなりました。
 
 サンタクロースもキリスト教の聖者の名前のようですし、キリストもブッダ(釈迦)も実在の人物です。
 キリストは、様々な奇跡を行い示しました。
 ブッダは、神通力を持つものと、何らかの事情で競われたことがあるようですが、神通力を使うことは否定されています。
 仏教は、特別な力を求めず、人間として、この世に生き、さまざまな苦労をして、いかに生きるのがよいのか、自分なりにしっかりと考えなさいということでしょうか。
 
 どうやら、この考え、思い、創造するということは非常に大切で、知識の世界を超越しています。
 そして愛とか慈悲といった心が大切で、これなくしては、より深く良いものは生まれないようです。
 
 キリストは、隣人を愛せよと言いながら、私は子供と親を分かつために来たとも言っています。
 子供が、クリスチャンになり、仏教徒の親と対立して別れても、なるほどと説明がつくわけです。
 仏教でも出家するときには、恩愛を絶つと誓います。
 
 ブッダは、執着してはならないとしつこく説いていますが、かたや、動物のサイのように、もくもくと自分の道を突き進めと言います。
 
 何だか、矛盾していますよね。
 しかし、この矛盾したままで、何となくそうなんだと思いますし、本当に、そうなんだろうと思います。
 
 私は、縁あって仏教を勉強していますが、世界平和にも仏教の教えは非常に役にたつと思います。
 仏教の基本は「衆生無辺誓願度」で、生きとし生けるものをすべてを救うということです。
 絶対できないと思えることを、誓い、仏となるにはおそらく、この誓いが成就したということなのだろうと思います。
 じゃあなぜ、今も、人は病み、老い、死に、苦しむのでしょう。
 なぜ、世界から戦争はなくならにのでしょうか。
 あなたは、いったい何をしていますか。
 
 インドのある聖者(ニサルガダッタ・マハラジ)が言いました。
 「ところで、君は、一人の人間でも本当に幸せにしたことがあるのかね」
 
 いやはや、確かに、一人の人間だって幸せにしたとは言えない。
 
 昔から、慈母に敗子ありとも言います。
 
 慈しみ大切に育てたのに、どうしようもない子供が育つものです。
 
 本当に何がよいのかわかりません。
 
 良寛さんは、しばらく縁にしたがって生きるだけ、と言っています。
 
 少し暗い話しになりました。
 
 我が師(紀野一義)先生の教えは「絶対、肯定。肯定!肯定!肯定!」
 
 「ええなあ!ええなあ!ええなあ!」の生き方です。
 
 どんなことも、肯定しようと思えば、肯定できます。
 
 肯定できないのは、少し、想像力が足りないのですかね・・・・。











今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。