2020.6   「言葉を 書き話すということについて」
 
 
二十歳の時に、この世の形見にと思って詩集を自費出版した。
そのあとがきに、「書くことから遠ざかることを恐れている。自己の主張を求めている。自己の肯定、肯定される。
多くの人から、いや、一部でも、それに納得する価値があれば。いや、真実を求めて。

ゆるぎない真実を求めて。いつかは賞賛される真実と、自己だけでも満足のできる真実を求めて、安らかなるうぬぼれの許しを求めて。

そのために自分は、書くという行為から遠ざかることを恐れている。」と書いている。

 

あれから44年、書くという意志はあっても、ほとんど書きもせず、あいかわらず迷いの中を生き続けている。

よく言えば、迷いながらも、それなりによく生きてきたものだ。

 

最近の作家の小説等はほとんど読まないし、読もうという気持ちもわかないが、毎月知人から送られてくる通信誌を興味深く読んでいる。

お会いして姿形を見ているだけでは、とてもわからない、その人となり、考え方、生き方が伝わってくるのだ。

また、その人の友達の手紙なども紹介されているが、びっくりするほど、その友達の人の内面や考え方生き方も、よくよく伝わってくるのだ。

書き手がすばらしいということでもあるのであろうが、書くということの大切さをあらためて思わされる。

 

 

ゲーテは、どんな低俗な小説でも、言葉であれば、必ず少しは光輝く何かがあると言っている。

蓮如上人は「ものを言え、ものを言え、ものを言わぬはおそろしきなり」と言っている。

 

ことばを書き、ことばで語るということには、大切な何かがある。

見ただけではわからない。

言葉にして、書き、語ることによって、ものごとは深められていく。

 

沈黙も、ものすごくいいと思うのだが、沈黙したままでは伝わらない。

短い言葉でもいいから、書き、語らねばならない。

 

 

「はじめに ことばあり ことばは神とともにあり ことばは 神なりき」

このように、聖書にも書かれているではないか・・・。

 

 

 

 今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
 いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。

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