日の暮れた街々のてっぺんには
なぜか水色の空がはてしなく広がっていた
僕はずっと向こうの星に
きれいな娘が住んでいるかもしれないと思うと
だんだんと 小さな点になり
石ころの中の原子のような気になった
そして つつましく生きようと思った
何もかもが僕の心に生きている
僕はせせこましく飛躍することなどよして
心に感じるものだけを愛そう
なぜか 石ころさえもが愛くるしいのだ
※確かこの詩は以前も取り上げたような気がする。僕にとっては、思い出深い詩なのです。
この言葉(詩?)を書いたのは、昭和50年のちょうど今自分の9月、少し秋らしくなりはじめたころのことだったように思う。
警察学校の寮の土曜日の夜の屋上で、一人夜空を見ていた。
わけあって3か月の追加処分で外出外泊禁止中のことだった。
土曜日の夜は、校内にも寮にも日直と寮当番以外は誰もいない、寮の屋上。
不思議に青く澄みわたった夜空をながめながら、遠い星の向こうに、美しい娘が住んでいるかもしれない、と思った瞬間、自分のどうしようもないちっぽけさを感じた。
時々、遠くに住む、美しい娘の姿も思ってみたりもした。
最近別れた女性が、その娘ではなかったのかと、別れたあとになって、つくづくそう思い、世の中の無常、非情を思いもするのである。
まっ、しようがないよな。
何がおきようが、どう生きようが、人間の人生なんてたかがしれている。
何をなそうが、何もできなかろうが大きな宇宙から見れば、チリほどのこともない。
そのチリほどもない人生を、ああでもない、こうでもないと、日々、悶々と生きるバカらしさ。
自分のやりたいことは、しっかりやりなさいよ。
思いきりよく、生きなさいよ。
でも大切なのは、人々の幸せを願う気持ちですよ。
我師の、自省(自誓)の言葉を繰り返しながら、これでも、人目にはさわやかに生きています。