2021.1 コロナとお坊さん
 
お客様のお話では、つい先日お母さまとお父様が1週間違いで亡くなったのことだった。
あとから亡くなったお父様はコロナで亡くなったのだが、戒名がなかなかもらえなかったとのことだ。
通常は、葬儀に間に合うように戒名を授与するのだが、 お坊様がいうには、葬式が終わらないと戒名がつけられないとか・・・・・。
いったいどいうことなのでしょうかと、お客様に聞かれて、私も、なんと答えていいのやら、「何か事情があったのでしょうね」と言って言葉を濁してしまった。
推測だが、コロナで亡くなったから、その亡くなった方や家族の方に近づくことを恐れて、戒名授与が遅れたのかもしれないと思った。
電話やFAX、メールでやりとりすれば、戒名授与はできたはずであるのだが・・・・。
話しによれば何代にもわたって、檀家としておつきあいのあるお寺である。
本来なら、亡くなった方のために枕経をあげたり、お通夜や葬儀にも参列いただかなければならない。
コロナだから、親族でもなくなった方に会うことはできないのは、承知している。
親族でも火葬した遺骨で死後初めて対面することになる。
でも、戒名を授与することは、問題なくできたはずである。
おそらくコロナで亡くなったと聞いて、そのお坊様は狼狽なさったのではないかと思ってしまう。
たまたま、このようなことが起きたということであろうか。
 
私の実家の旦那寺は、小さな貧しいお寺である。
たまに住職とは、お話しをするこがあった。
私が、中学生の頃だったであろうか、その住職が「県堺を超えたところに山深い村があるのだが、その村の檀家さんがらい病(ハンセン病)になった。
その家で葬儀が出た。親父は、わしが行かなくて、誰が行くと言って、半日以上かけて山を越え峠を越えて行きました」
ハンセン病といえば、当時は忌み嫌われた病気だったようです。
やはり、ハンセン病の患者の家には、お坊様でも行かない方がいたのではないでしょうか。
私の近所には、それなりに大きなお寺が多くありますが、これは私の小さな旦那寺を誇りに思うようになったきっかけのお話しです。
 
ちょうどその頃、尊敬もっし親しかった学校教師が、田舎づきあいで酒を酌み交わして返盃で、人の盃で酒を飲まなければならないのが嫌だと言っていました。
梅毒がうつるかもしれないし、汚くて嫌だというのです。
誰だって、病気に感染するかもしれないのは嫌なのはわかります。
普段は教師として、平等と平和と愛の権化のようなまあ、私の勝手な思い込みですが、尊敬し慕っていた教師ですが、やはりどこかすれ違うところがありました。
 
私は、あまり気にしたくないな。。
そういうう私のような人間のそばには正直近寄りたくないと思う人も多いでしょう。
もっとも、そんな私の内面は、誰も知りませんから、普通にやっています。
(実際にはマスクもつけているし手洗いも消毒もうがいも人並みにやっていますよ。)
 
我師(紀野一義先生)も、戦後復員して岡山県津山市で過ごしたときに、肺結核の親友二人、
一人は共産党員のミズシマシンジ、一人はクリスチャンで国文学の研究者であったミズタショウジロウ、その二人が肺結核で亡くなるまで何らかわることなく過ごされた。
ミズシマシンジ氏が、東京から津山に帰ってきた紀野先生を津山駅で出迎え、嬉しくてしようがないといった満面の笑みを浮かべている姿。
ミズタショウジロウ氏が、病室で研究論文を代筆してくれる紀野先生に「すまんなあ、すまんなあ」と何度となくあやまっている姿。
私は見ていたわけでもないのに、鮮明に思い出す。
色んな、出来事、ドラマがあるようです。
 
 
生き方は、人それぞれです。
どれがいいの悪いのはないと思います。
健康と衛生には十分注意しながらも、おおらかに生きていきたいものです。







今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。

    一、真理をもとめてひとすじに生きん。
      一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。