2021.5  スマイル仏壇の営業再開のお知らせ
 
インターネット販売の責任者である私、野田が網膜剥離の再手術のため、一時休業していましたが、5/8(土)から、通常営業いたします。
休業のお知らせをしたところ、10名ほどの方から、励ましのメールをいただき、ありがとうございました。
やはり嬉しく拝読させていただきました。
 
思えば、この世とおさらばしてもいいかなと、記念に20才で詩集を自費出版しましたが、その詩集を読みかえしても「ゆるぎない真実を求めている」とか「世界中の人々を幸せにしたい」とか書いています。
 4月23日に65才の誕生日を迎えましたが、この入院中にあらためて、その思いについて考えてみました。
 
釈迦如来の悟りの目的は、何であったのか。意外とはっきりしていませんが、すべての人々を救うということであったと思います。
それができないならば、悟らないという誓願のもと、悟りを開かれたのだから、その時点で、人類は、いや、草木も含めすべてが救われているのではないか。
これは、20代30代のころの、私の漠然とした思いです。
 
わかりやすいのは、観無量寿経に書かれている阿弥陀如来の誓願で「私の名前を呼ぶものは、すべて救ってあげる」という。
ただし、親を殺すようなものは、お坊様を殺すようなものは除く・・・と、ただし書きはある。
 
法華経等に書かれている釈迦如来の誓願の場合には、このただし書きはないのではないかと思う。
 
釈迦如来は、そんなこと言っていないという方もいるだろうと思うが、般若心経に書かれているように過去現在未来の悟りを開かれた如来の中には、間違いなく、生きとし生きるすべてのものを救いたいという誓願をたてた上でで悟りを開かれた如来(仏)は、必ずいらっしゃると思う。
 
すでに私たちは救われているのだが、そのことがわからない。ということらしいのである。
 
つい最近まで生きていらしたインドの聖者、ニサルガッタ・マハラジは、世界平和を訴える若者の質問にこたえて「君は一人でも、本当に幸せにしたことがあるであろうか」と言っている。
 
確かに、私たちは一人の人間でも、自分の力だけでは幸せにすることはできない。
 
それでも、おおぜいの人々の幸せを願うことは大切だ。
 
人生を美しく生きる。愛にあふれた人生を生きる。優しさ、慈しみあふれた人生を生きる。
 
誰か、本気で人を愛しているうちは、人生はバラ色だ。
 
子供みたいなことを、言っているようだが、愛するものがあるうちは、幸せだ。
 
何となく、人間の醜さばかり目に付くと、人生つまらないですね。
 
もっともっと愛し愛される人間の存在も、とても大切かもしれない。 
 
 
 
 
 
今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。
 
   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。