2021.6     「あかかやあかかや月」


あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月・・・・これは、明恵上人の和歌です。あかあかというのは、明るいという意味で、明るい明るい明るい明るい明るい月、という解釈になるようです。確かに、夜が、真昼のような月明かりの夜があるものです。
何度か、そんな夜を過ごしたようにも思います。
最初、このあかあかを、赤い赤いという意味だと思い、真っ赤な夕焼けの中に浮かぶ月を思い浮かべたものでした。それはそれで美しい情景です。
詩の正確な解釈など、本当はどうでもいいのではないでしょうか。
その作品に、何かを触発されたり、感動を覚えれば、十分だと思います。
 
この和歌は、非常にシンプル単純明解で、時代の古さなどぜんぜん感じないです。
鎌倉時代のお坊様の和歌です。
 
明恵上人は、お釈迦様が大好きで、この身の一部をお釈迦様に差し上げたいと、片耳を切り落としました。
和歌山の海の近くの山中に住んでいたときには、山から眺める、島に恋をし、島に恋文を送ったことがあります。
島は、お釈迦様のお生まれになった天竺(インド)を流れる水が、巡り巡って、その島にも流れついています。銀色に輝く海、真っ赤な夕陽に染まる海、その海に浮かぶ島。
あまりの恋しさに、舟を出して、島に渡り、桜の木の下で楽しいひと時も過ごされたこともありました。
島で拾った、小石を終生大切にされ「もし私が死んで、誰もお前をかえりみないならば、飛んであの島に帰るがいいだろう」というような和歌も残しています。
 
松の木の上で座禅をしていらっしゃる絵が残されて、妙に、その絵が印象的です。
 
人間に恋しても、その恋はひと時のものです。
 
仏様や観音菩薩のような方に恋すれば、その恋は永遠に続くでしょう。
 
とはいえ、人間は、人間に恋するものです。
 
それが、たとえ、永遠ではなく、苦しみを伴うものであるにせよ、人は人に恋をします。
 
人を恋するとき、別れを恐れてはいけません。
 
勇気と忍耐をもって愛します。
 
そして別れるときは、水のごとくさらさらと、すべてを洗い流していきます。
 
いつの時代も愛すること恋することは、すならしいと思います。
 
ただし、執着するなよ、ということでしょうか。





今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
    一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。