2021.10   黄金の70代に向かって
 
 あと5年で70代に突入する。この70代を自分の人生の集大成として光輝くものにしたいと思っている。
 たまたまお会いした70代の人に、それは、おそらくこの人は昔、小説など書いていた人なのだなと感じる人だったが、70代80代90代の人間の生活、心のありようなど誰か小説を書かないだろうかと話したことがある。
 
 作家の老後の作品では書けない、庶民として生きた人間の老後とはどんなものなのか。
 普通の人間が、老後をどう生きるのか、どう生きればいいのか。
 普通の人間の老後の生活に、美しさや、ロマンはあるのか。
 文学の世界も、もう一度、人間いかに生きるかということを追究しなければならない。
 かつての文学は、ちゃんと、そういう作品があった。
 
 そのためにも、老後、老人とはいかなるものなのか、たんたんと一遍の小説を書き上げてほしい。
 
 そんな話しをしていたら、
「昨日のことが思い出せなくてね」
「この前、ふと昔行った公園に立ち寄ったら、その2キロよぶんに歩いたことで、足がガタガタ。帰りの電車の中でダウンしちゃった」
「肺に影があって、今度精密検査ですよ」
やれやれ、現実はこんなものです。
しかし、高齢者が、頑張らなくて、誰が頑張りますか。
高齢者でなければ、わからないことや、高齢者でなければできないことも、多くあります。
 
さあ、黄金の老後に向かってがんばりましょう。
 
 良寛さんは、73才でなくなるまで自分の詩を残していらっしゃる。
 69才で29才の貞心尼に会い、師と弟子というだけではない恋心のような歌も残していらっしゃる。
 
 我が師、紀野一義先生は、「黄金の70代」ということで、確かに大活躍された。
 おそらく先生の悟りのような世界は、この70代で語りつくされたのだと思う。
 私たち庶民に、仏法というものを、できる限りわかりやすく伝えようと務められた。
 おかげで私は、何十年勉強してもわからかったであろうことまで、教えていただいた。
 今なお、益々、先生の著書には驚き、日々発見することが多い。
 真実で書かれた書物は、そのようなものだと思う。
 残念ながら、先生の悟りの世界は私にはまだまだわからない。
 ただ先生は「肯定」することを強調された。
 「肯定、肯定、絶対肯定。何があっても、アア、ええなあ。アア、ええなあと言わなければ駄目だ」とおっしゃたことがある。
 どんなに立派に生きた、何々を成したといっても、所詮、人間のやったことはたいしたことなない。違いはない。
 迷っても悟っても、何をしようが何をすまいが、仏のいのちの中で生きているだけ。
 死ぬということは、仏のいのちの中に帰っていくということ。
 私たちは、仏のいのちから生まれ、仏のいのちに帰っていく。
 
 それでは、どう生きるのがよいのか。
 
 真実を求めて生きていきなさい。
 仏をうやまいなさい。
 おおぜいの人々の幸せを願って生きなさい。
 美しく生きなさい。
 
先生はそうおっしゃっていたのだと思う。



今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

   自誓
    一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
    一、真実をもとめてひとすじに生きん。
     一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。