2022.8.   肯定 肯定 絶対肯定 (肯定する力)
 
 最近は、スマホで世界中の人々の日常生活を写した動画を見ることが多い。
 国が違い、民族が違い、気候風土が大きく異なるなかで、人間の本質のようなものは、あまり違わないのだなと思う。
 東南アジアの両手のない若い女性が、両足を使って洋服を着替え歯磨きをし食事を作り、お化粧も上手で、着こなしも上手で、チャーミングで、その生活は両手がないことがわからなく程である。
 今日本でも、高校生のときに交通事故で両足を失った若い女性が、モデルとして活躍している。
 彼女は、交通事故を起こした加害者の人に、事故を起こしたことを気にして悩まないでほしいという。
 だから加害者が特定されてしまうようなことは避けてほしいと思っているようだ。
 両足を失ったことを、不幸だとは思っていないという。それはそれで良かったのだという。
 彼女の笑顔も素敵だ。
 
 寝たきりの青年がいる。パソコンを口にくわえた棒で操作する。そしてインターネットを使って商売を始めた。
 150円の利益が出たことが、非常な喜びだったという。
 
 私たちは、不幸せに思えること、様々な苦難に巡りあうと、ややもすると悲観し絶望し、苦しみに陥ってしまう。
 
 一時は、悩み苦しむ悲観し絶望するのも良い経験となるであろう。
 しかし、そこに長くとどまっては、大切な人生(いのち)が、もったいない。
 
 どのように人生を肯定していくのか。
 上記に書いた3人の生き方も、参考になるのではないだろうか。
 
 わが師は、人生は肯定、肯定、絶対肯定!!何があっても「ええなあ、ええなあ」と声を出して言うぐらいでないと
駄目だとおっしゃた。
 
 コップに水が半分入っている。その事実に対して人は「もう半分しかない」「まだ半分もある」「あの水はまずそうだ」「あの水はうまそうだ」「ひょとして貴重な魔法の水なのだろうか」と様々なことを思う。その思いを肯定的な思いにしなさいということだ。
 
この肯定する力があれば、世界中どこにいても、どんな苦難があっても、幸せ、喜びを感じることができるのだろう。
 
死んだらどうするんだ!!死後の世界も、そんなに悪いものではないと思う。ここは、是非とも体験したいものだ。
 
円覚寺の朝比奈宗源老師は、よく言われたそうである「我々は、仏心から生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に命をひきとる」
 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、心ひろびろと、さわやかに生きん。
  一、真実をもとめてひとすじに生きん。
  一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。