2022.11.  ショウキョウという山について
 
私は、中国山地の山深い町の出身だ。
私がまだ小学生の昭和30年代までは、我が家の炭焼き小屋が、ショウキョウという山の中腹にあり、一人でもよく登ったものだ。
小学校の校歌はショウキョウサンカフクカゼニ、ニワノサクラガニオウトキ・・・だった。
ショウキョウといえば、山の名前で、ただショウキョウ、ショウキョウとだけ、意味など考えもせずに、山の名前を口にしていた。
近辺には羅漢山、恐羅漢山、深入山と、山の名前らしい名前のついた山が多くある。
ショウキョウは標高810メートルほどの、取るに足らない我が村にそびえる小さな山だ、と思っていた。
ところが、このショウキョウは正教という名称であることに数年前気づいて、どきりとさせられた。
なぜ、正教という名前の山になったのか、調べれば何らかのいわれがあるはずだ。
正教山という名前の山は、全国に一つしかない。
当然世界で一つしかない山の名前だ。
 
子供の時に読んだ童話に、ある男が金剛石を求めて、国中を歩きまわった。
しかし、金剛石を見つけることができないまま、年老いて故郷に帰ったところ、探し求めていた金剛石は故郷の谷川にあったのだ。
 
私自身も子供の頃、石の採集もしていたくらいだから、妙に、心に残る話しだった。
 
私も、何か大切なものを故郷で見落としているようで、故郷に帰らねばならぬのかもしれないという思いがよぎるのだ。
本当に、真剣に考えねばならないかもしれない。



今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。