2022.12  年末を迎えて

 

 丸の内線の新高円寺の駅近くに住んでいるのだが、今、青梅街道沿いの銀杏並木が色づき落ち葉が舞う。

 何だかいつもより遅い季節の移ろいだと思うが、気温はマイナス1度、マイナス2度とそれなりに真冬の寒さだ。

 やけに青い青空と白い富士山を7階から眺めたり、夕陽も夕焼けも、むしょうに人恋しくなる。

 六十六歳の年末も、青春時代の年末も、あまり変わっていないと思うのだが、何か病気にでもなれば、いっきに老け込みそうだなと思う。

 一休禅師は、新年早々、シャレコウベ(髑髏)を杖に挿して「御用心!御用心!」と京都の街をねり歩いたそうだ。

 いずれは死ぬぞ、今日死ぬかもしれないぞ、明日死ぬかもしれないぞ。「今のままで、それで良いのか!」

 一休さんは、何を伝えたかったのだろうか。

 

 今のままでもいいですよ。

 ただ、欲望や煩悩に心を焼きつかされ。

 病や死に怯え苦しむ衆生。

 やはり、日々安心して、心ひろびろと生きるには、それなりに修業のようなものが必要だ。

 良き師にめぐり逢い、学び実践していかねならない。

 

 私は、紀野一義先生に巡り会えたことが、とてもありがたいことなのだと思う。

 しかし、いまだに、先生の教えが何だったのか説明することはできない。

 先生は、できる限りわかりやすく教えていらしたのだが、やはりそう簡単にはわからない。

 わからないまでも、それなりにわかり、それなりに幸せだ。

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。