2023.4  67歳の誕生日を迎えて

 

 4月23日に67歳の誕生日を迎えた。

 息子と、30年前から通っているスナックのママから、ラインとショートメールで「誕生日おめでとう」のメッセージが届いただけで、何の変化もない1日だった。

 誰でもそうなのかもしれないが、20代の自分と、心の心情のようなものは、あまり変わっていないなと思う。

 人間、いかに生きるか。いかに生きるのが良いのか。永遠なるもの、真実のひとかけらを求めて、生きてきたと思う。この思いが、体制の中、組織の中、人間関係の中で、突然、軋轢から爆発して、組織や人と決別してきたように思う。

 長いものにはまかれろ、といった、妥協がなかなかできない性格で、激しい態度や言葉で、相手を傷つけたことも多かったと思う。

 誰だって、自分を強く否定されたら、嫌だろう。

 

 中学生のころ、正義感に燃えて、突っ走しっていた時代がある。そんな僕に「正直に生きたいという気持ちはわかりますが、時に、その正直さが人を傷つけることがると思いませんか」と言われたことがある。

 僕の発言が、僕の知らないところで、人を傷つけていたのだ。

 

 このブログでも感謝の言葉をいただくこともあるが、ひどく、傷ついたという言葉をいただくこともある。

 なぜ書き続けるのかと言えば、誰かの心に、よりよく生きるヒントのようなものを、届けたいからだと思う。

 

 やはり言葉には、力がある。

 

 もうそろそろ、悟りのようなものを掴みたいと思うが、まだまだである。

 

 多くの人が、悩み苦しみ悲しみを乗り切る力がほしい。

 

 そうして笑顔と優しさをもって生きていきたい。

 

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。