2023.6  純粋に生きることの難しさ

 

 純粋であるとか、優しいとか、簡単に言葉にするけれど、その生き方は非常に困難を伴い難しい。

 麗しき乙女も、優しき乙女も、天使のような乙女も、この世の荒波にもまれ、その純粋の心、優しき心がいつしか失われてしまう。

 ある人が、女一人生きていくということは大変よ、と言った。

 長いものに巻かれというけれど、自分の意志に反しても生きていかなければならないことは、男も女もよくあることだ。

 翻って自分は、不器用で、長いものに巻かれることができずに、浮き草のように、職場を転々とした。

 だから、わかる。同じように不器用に生きる人間が・・・。

 酒場で酒を飲んでも、妙に気があうのは、そんな人間だ。

 女性でも、妙に気が合うのは、そんな人間だ。

 でも心と心がふれあい、妙にお互いほっとしている。

 それだけでも人生は、生きている喜びではないだろうか。

 

 諸法実相、すべてがあるがまま。

 善も悪もなく。

 

 しかし、わたしの心に響き喜びとなるのは、たまに、いい奴(男も女も)と、巡りあえること。

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。