2023.7  生きながら 死人となりて なりはてて 思うがままに なすわざぞよき

 

 最近、江戸時代初期の無難禅師の道歌「生きながら 死人となりて なりはてて 思うがままに なすわざぞよき」を、何度も心で繰り返し、自分に言い聞かせています。

 自分に言い聞かせてはいても、この心境になりきることは、できないが、自分なりに、どこかすっきりして、心が少々のことでは動じないなと思う。

 もっとも、こんなことを文章にしてしまったら、せっかくの思いも、すでに霞んできてしまう。

 やはり、大切なことは、心にしまっておくのがよろしいようだ。

 

 なぜ、ならば書くのかといえば、少しは誰かのやくにたてばという思いからだが、はたして、どの程度、お役にたつやらわかりはしない。

 

 お釈迦様の言葉を書き留めたスッタニパータという本があるが、お釈迦様はしつこいくらい執着を捨てろと説かれている。

 執着することが、苦しみの原因であるということだ。

 死人には、この執着がない。だから無難禅師は死人になれというのだ。

 死ねと言っているのではない、生きながら死人となるのである。

 何事も気にしない、執着するなといっているのである。

 それでもって、思うことはやりなさい。

 人目を気にすることもなく、結果を気にすることもなく、やりたいことは、やりなさいよというのである。

 

 人間は失敗したり、おとしめられたり、侮辱されたり、耐えがたいことはいっぱいありますが、死んでしまえば、恥ずかしいの悔しいの苦しいのと、そんなことは一切感じない、気にしない。

 実際に死ぬ必要はなくて、一度死んだものと思って、すべてを捨て去り、執着を離れ、新しい日々を清々と生きていく。

 

 私も、子供のころから、死にたい苦しみ悲しみを経験してきましたが、死にたくなったとき、そのぎりぎりで、きれいさっぱり何もかも忘れて生きなおしてきました。無意識のうちに、生きながらん死んだんだから、何もかも忘れて生きなおすのです。

 結構、明るい生き方です。

 ただし、環境が変わったわけではないですから、同じような問題が繰り返しせまってはきます。

 でも不思議なもので、いつのまにか打たれ強くなっています。

 

 本当に困るのは、自分の命より大切なものを失ったときだと思います。

 人間やはり、心のバランスをくずし、絶望し、精神が病むだろうと思います。

 良き友や、時間が癒してくれるかもしれませんが、やはり医師にも相談した方がよいかもしれません。

 

 これが少し前の日本なら、寺の住職が村の長老に相談したと思います。

 今は、人生経験が豊富で頼れる優しき大人が身近にいなくなりましたね。

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

自誓

一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。