2023.11   リアルな夢の話し二つ

 

 最近なぜかしらリアルな夢を見て、いつもならすぐに忘れてしまうのに、今もその映像と感覚が思いだせる。

 一つは、四国の愛媛県らしい港の見える小高い丘の民家に私が住んでいて、真夜中に「核ミサイルが発射された」という緊急避難情報が流れた。

 外に出ると、水平線の向こうが一面夕焼けのように赤く染まっている。ああ、核ミサイルが着弾して広島も岩国も呉も火の海になっているのだなと思っていると、松山らしき街にも、ミサイルが飛び交い、ビルが燃え上がり、火の海になってきた。迎撃ミサイルが何発かのミサイルを打ち落としているのだが、あちらこちらで、火の手があがる。

 そのうち、核ミサイルが飛んでくれば、一瞬にして、私も焼け死ぬのだな、これが私の最後か、と思った瞬間目が覚めた。

 いやにリアルな夢であった。

 

 日本も、いつ戦争に巻き込まれても不思議でない状況になってしまった。

 この責任は誰にあるのか。国民にも責任はあるであろうが、戦争はしない、戦争はできない国から、今は、戦争になるかもしれない、戦争もできる国になってしまった。

 そのような国にしようとしている政治家の罪は重い。

 

 もう一つの夢は、何だか嬉しい夢である。

 二十代のころから知っているママさんのいる店で、なぜか眠くて眠くて、ついには寝込んでしまった。目が覚めると誰もいない。店の奥の部屋を覗くと、ママの後姿が見えた。ずいぶんとスタイルがよく若々しいママだ。私に気づいて「目が覚めたの。一軒、行きたい店があるから、つきあって頂戴」という。いつもつっけんどんで、誘われたのは、その時が初めてである。二人で歩いていると、私に寄り添って妙に甘えてくる。薄暗い路地に入ってママの顔を見つめると、彼女も見つめ返す。そっと口づけすると、拒まない。もっと、強く口づけすると、彼女がもっと強く返してくる。だんだん口づけが激しくなったところで、はっと目が覚めた。

 この夢も非常にリアルだったので、何だかずいぶん得をしたような、幸せな気持ちだった。

 思えば、何十年も何の進展のない、ママとの関係だが、一度、食事でも誘ってみようかなと思う。

 

 インドの聖者、ニサルガッタ・マハラジが、何やかやと世界平和のためにといい、世界平和のためにどうすれば良いのかと訴える若者に「ところで君は、一人の人間でも、本当に幸せにしたことはあるのかね」と言った。

一生懸命愛しても、その愛さえうつろい、愛するものが病気にもなれば、事故にあうこともある。愛して甘やかしていれば、人間は我儘にもなる。

 なかなか思うようにはならないのが、人の世だ。

 

 かと言って、思いやりや優しさ正義は美しいと思うし、自分の利益のために人を欺き、人を傷つける奴は好きではない。

 私も強烈に好き嫌いあり、善悪を感じる。しかし、この現実を恨んだり非難するだけでは、決して、人は幸せにはなれない。

 今の自分を肯定していく、今の自分のよさを認める、今の状況をいいなと思う、そして明るく元気よく生きたいものだ。

 紀野一義先生が、一番大切にされたのは「肯定、肯定、絶対肯定」の生き方だ。

 この生き方は、どんな世の中でも、どんな境遇でも、幸せをつかみとる生き方だ。


 世界中の人が、どんな状況でも幸せを感じることができる生き方なのだ、と思う。

 その上で、よりよい社会を作っていかなければならない。

 

 

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 

 自誓

 

一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。