2023.12  もう生まれ変わらない

 

 人間は輪廻転生して、何度も何度も、いや何億回も生まれ変わり、どんな人間もいずれは仏となるという。

 お釈迦様を殺そうとした、ダイバダッタでさえ何億年何十億年という先の未来では仏になるという。

 その名も天王如来というらしい。(平楽寺版法華経347項)

 人間は、迷いや苦しみの世界から解脱して悟れば、もう生まれ変わることはないという。

 お釈迦様の言葉を書き留めたスッタニパータという本を読むと、悟りに至るか、もう生まれ変わることがなくなる方法がいくつも説明されている。

 

 私は、執着することだけは無くそうと努めているが、これも悟りに至る、一つの方法であるはずである。

 はずであるというのは、スッタニパータのどこに、はっきりと書かれていたかが思い出せないからである。

 今さら調べるのも面倒くさい。

 でも間違いなく、執着を離れるということは悟りに至る道であると思う。

 

 最近、やたらと夢を見ることが多いのだが、今朝、夢から覚めようとした時に、「もう生まれ変わることがなくなるよ」という誰かの声が聞こえた。

 生まれ変わることがないということは、仏教的には、理想かもしれないが、私は、何度でも人間に生まれ変わってもいいと思う。

 美しいだけの世界、喜びだけの世界には飽きてしまいそうだ。

 浄土はこの上なく、想像を絶する美しく喜びに満ちた世界なのかもしれないが、どうも退屈そうだ。

 やはり人間世界の醜い苦しい悲しい怒りの世界の中に、きらりと光る美しさを見出すことの方が、いいと思う。

 だから少々のことでは、弱音なんてはいていられない。

 

 やはり、こつこつと優しさをもって、真実を追究して生きたい。

 その中に、最高の喜びが待っているように思う。

 

 お釈迦様も、弟子のアナンに「お釈迦様には、欲はないのでしょうか?」と、質問された時に、「あるよ。最高の喜びを求めている」と、おっしゃった。

 私も、最高の喜びを求めている。

 

 それは、人間世界の中でこそ、見出せるのではないだろうか。

 

 もし、もう私が生まれ変わらないのであれば、私は、何のために人間に生まれてきたのであろうかと、悔いが残る。

 残り少ない人生、何とか、最高の喜びに巡りあいたいものだ。

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。

いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 

 自誓

 

一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。

一、真実をもとめてひとすじに生きん。

一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。