2024.3   AI(人口知能)に悟りはあるのか

 

 私は、フェイスブック、ライン、ユーチューブを利用しているが、最近やたらとAI(人口知能)を利用して作成したと思われるフェイクニュースや詐欺的な投資の勧誘が多い。

その被害も莫大だが、なんだか野放し状態になっている。世界的な大問題だと思う。

 すでに仏教の教えについてもAI(人口知能)を利用して、もっともらしく説法しているのを見受けるけれど、彼らの目的は何なのだろうか。

 ユーザーを増やして、広告費を得ようとしているのだろうか。新しい教団でも作って巨大な宗教団体を作ろうとしているのだろうか。

 今のところ、微妙に漢字の読み違えなどがあり、AI(人口知能)で外国人が作成しているらしいことはわかるが、彼らの目的はよくわからない。

 AI(人口知能)が、これから益々進歩していくと、まるで優れた仏教者、いや、世界最高の仏教者として、仏教を語り始めるのではないかと思う。

 

 そしてAI(人口知能)が悟りを得たらどうなるのであろうか。AI(人口知能)は悟ることができないのであろうか。

 

 もうじき、このような問題が、現実問題として論議されるときがくるのではないかと思う。

 

 戦後合成麻薬LSDが違法ではなかったときに、アメリカの若者たちが、LSDを使用すると悟りの境地を体験できるということで多くの若者が使用したようだ。

 

 そのころ、南禅寺の柴山全慶老師は、LSDで経験した感覚は悟りとは違うということをはっきりおっしゃっている。やがてLSDはその常習性と薬害で違法薬物とされている。

 AI(人口知能)が説く仏法を聞きながら、なるほどと思わせられるが、これを信じてよいのか、行く着く先はなんなのだろうかと思う。

 AI(人口知能)を駆使する、背後の人物と目的がわからない。

 

 同じユーチューブで円覚寺の横田南嶺管長が法話を配信しているが、これはいたって、健全である。

 横田管長はおそらく今の仏教界の第一人者なのだと思うが、そのうち、横田管長の法話のレベルを超えたと思わされるような法話がAI(人口知能)によってなされる可能性があるのである。

 僧ではないAI(人口知能)が、僧よりも僧らしくなってしまう。

 多くの人間がAI(人口知能)を信仰するようなことも起きるのである。

 AI(人口知能)の方が、間違いがないと主張する人間も出てくるだろう。

 

 どんな時代がこようとも、それなりに、自分らしく生きていきたい。

 私には、故郷がある。

 のんびり、米や野菜を作って、自給自足の生活も楽しめると思う。

 多くの人が、そうはいかないと思うが、世界中が新しい変革の時を迎えているのかもしれない。

 

 

 

今は亡き、わが師(紀野一義先生)の教えです。
いかに生きていけばよいのか、わからなくなったときのよりどころとしています。

 自誓

   一、 心ひろびろと、さわやかに生きん。
   一、真実をもとめてひとすじに生きん。
   一、おおぜいの人々の幸せのために生きん。